朝、目覚めますと、直ぐに携帯を手に取ります。お天気すらも携帯でまずは確認するという、本来、望ましく思ってはいない生活を、いつかは長野県の緑滴る森の中の小さな小さな家で挽回したいという願いがございます。長野県は、息子が赴任して以来、私にとりまして、最も近しく好ましい県となり、親ばかを自認致します。しかしながら、本当に皆様にもお勧めの、今まで全く知らないでいた癒しの宝庫なのです。先日、息子が、自分は晴耕雨読の生活が一番の憧れで、雨の日には、雨音を聴きながらゆっくりと読書に浸りたいと口にしました時に、やはり、これが我が子なのだとの思いが致しました。幼児期には、降り注ぐが如く絵本の雨を降らせて育てて参りました。思春期の大変な反抗期には、あれ程心が通い合っていたのに、私の子育ては失敗したのだと考えたこともございました。しかしながら、息子は大学時代から大変な量の本を読み続け、今では私の僅かな知識の範疇を大きく超えてしまいながらも、様々な本について、また、新聞記事について、お互いの考えを交わせるようになりましたことが、何よりも楽しく、親が幼児期に降らせた雨は無駄ではなかったと言えるのではと存じております。
今朝頂きましたお母様方からのメールにも、お喜びが溢れ、朝の爽やかな秋の空を一層輝かせて下さいました。嬉しいメールは、そのお母様も以前にお好きと仰っていらした、讃美歌の様に、小さなかごに入れた花の様ですね。部屋に喜びの香りが満ち溢れるように幸福を感じさせて下さいます。その様なメールを皆様から頂き、心を正して、前を向いて、また、次のチョコリットの皆様の為に頑張って行こうと思う私でございます。(先日、新年中さんのクラスも開講させて頂きました。まだ、マンツーマン状態でございます。どうぞ、皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。)
お優しい花かごの様な先輩お母様からのメールをご紹介させて頂きます。
「今朝、緊張をしながら、先生のブログを開きました。今年も沢山のチョコリットの皆様の合格おめでとうございます。ここ数日、ブログを見ない日はございませんでした。ブログにもございましたように、チョコリットの皆様とは本当に何かで繋がっているのではないかと思います。こんなにも、この瞬間を心から喜び、また、昨年の私達のことのように共感させて頂きますことを幸せに思います。」
先輩のお母様方、本当にありがとうございます!ただ、もう、有り難さに胸が一杯になります。先輩お母様方から頂きます、お手紙や、メールには、小学校のお姉さま達が、来年お迎えして頂く後輩の皆様をどんなに楽しみにお待ちになっているかを綴って下さり、朝顔の種などをご用意して待っていて下さるご様子に、私まで、来年の春が待ちきれない様な思いが致して参ります。
昨年、お試験の夜に、「今日は、ありがとうございました。」と、深々とお母様に頭を下げられてお二階へと上がって行かれたお姉さまがいらっしゃいました。やはり、今年、お試験を受けられたお嬢様との呼応を感じるのです。お試験後、「お母さん、こんなに素敵な学校を受験させてくれて有難うございました。そして、私を生んでくれて有難う。命を繋いでくれた、おじいちゃまと おばあちゃまにも お礼を言わなきゃね」と微笑みながらお母様に仰ったお嬢様がおられました。この様なお嬢様達のお心が育つ為には、お嬢様がまだ赤ちゃんのうちから、お母様方はどのような雨を降らせてお嬢様のお心の土壌を耕されて来られたのでしょうか。チョコリットのお嬢様達のお心の高潔さは、どのような波風にも揺らぎはしないと確信しております。チョコリット初代からのお嬢様のおひとりおひとりは、常に私の心の中の宝物であり続け、これからも変わることはございません。おひとりおひとりが仰ったことも、その時の表情も全てが鮮明に浮かんで参ります。第一志望校にいらっしゃらなかったお嬢様には、当初にはお母様がご想像もされなかったまた輝かしい道を歩まれていらっしゃることと存じます。また、志望された小学校でも、勿論、様々なことに出会い、悩まれることもおありかと存じます。その全ては、しかし、幼児期に降らせられたお嬢様への心血を注がれた愛情の雨が育まれた芽を枯らすことは無い筈です。成長過程に於ける全ての喜びと葛藤は、お嬢様の豊かな枝葉を形成していく為には欠かせません。人は、知らぬ間に植物や動物からのいのちを奪い、その上に立ち、生きております。また、そうした生き物以外の、どなたかの涙に気づかずに、過ごしているのではないでしょうか。現在、悲しみの中におられる方でも、また、どなたかの羨望や涙の上におられることに気が付かれないことは、全く致し方無いことです。また、更に、自身が限られたいのちを生きていることも忘れがちです。受験というご経験は、まるで運命のようでもあり、全ての方にハッピーエンドが用意されているわけではございません。しかし、合格では無かったとの悲しみが、間違いなくお嬢様の枝葉に逞しさを与えてくれると信じております。人は望み通りには行かなくても、生きていける。生きている時に経験した苦しみや悲しみは、いつか身体から抜け落ちて、その部分だけ、先に天国に行って待っていてくれる。そして、その抜け落ちた真っ白な部分に、清らかさを補っていくことで、最後には全てが清らかな身体となり天国へ行ける。そのように信じております。
これからも、ずっと変わらずに、大きく開花して行かれるお嬢様達のご成長過程に於ける喜びも、悲しみも、勇気を持ち、大きな心でお母様方とともに見守らせて頂きます。