本日、早朝よりお試験をお受けになられました皆様、本当に、大変お疲れ様でございました。本日はJRの遅れもございましたようで、やはり公共の交通機関は遅れも想定され、お早めにお出かけになられることが大切ですね。
そして、皆様、お疲れの中、ご報告を頂きまして、深く感謝申し上げます。本当に、毎年、この時期のお母様方からのメールには感動せずにはいられません。お嬢様たちのご成長されましたお姿が際立つのがお試験本番ですね。
先程、あるお母様からのメールで、お嬢様がご就寝前に「今日はありがとうございました。」と頭を下げられ、お二階へと上がっていらしたと伺い、静かな喜びが胸の中に広がるのを覚えました。早朝からお弁当を作られ、雨の中、お嬢様を気遣いながら学校までの道のりを歩かれ、講堂でゼッケンを解けないように結ばれ、そして、優しいお言葉とともに送り出されたことへの感謝に対してでしょうか。私には、そのお言葉の「今日は」には、「今日を迎えるまでの全て」に対する恩への思いであったように思えるのです。そのお嬢様に限らず、今年も、今までも、講堂でお母様に深く一礼をして、あとは真っ直ぐに前を向き、試験会場へと進んでいらしたお嬢様や、お試験の前日にそっと感謝のお手紙を書いていたものをお背中に隠され、お食事が終わった時に、お母様にお渡しになられたお嬢様もおられるのです。ご家族様の間でのそうした礼儀は、これからのご家族様のお心の深いところでの結び付きに繋がっていくことと存じ、そのお嬢様と、そのようにお育てになられましたお父様お母様に深い尊敬を抱きます。礼儀の無いところに、ありのままの姿を見せあう親しさがあり、家族間やお友達の絆が深まると勘違いされがちですが、本当のありのままの姿とは、寝起きの姿でも無ければ、美しいご挨拶を省略しあうということでも無く、昨日にひき続く話題になりますが、「神様の描かれたデッサン」に向き合い、精一杯の努力で塗り染めながら、自身で最善の絵に仕上げようとする、その姿を見せあうことだと考えております。まだ未完のその絵は、自分でも酷い色で塗っていることが分かっているとしても、現時点では次の色が選べず、分からずに悩んでいる。その打ちひしがれたカッコ悪い姿も親子で見せ合いたいと考えます。ありのままの家族の姿とは、大きなデッサンを前に、たどたどしく迷い、絵具を選び、絵具に染まった手で握手をしあうことなのではないでしょうか。真の友人もまた、同じく、そのようなことが出来る相手なのではないでしょうか。そして、デッサンの大きさに途方に暮れて座り込む子供の肩を抱き、塗りあぐねた絵に対して微笑み、いつか必ず素敵な絵になると話すことの出来る親でありたいと願います。
人はなぜ雲の上に天国があると考えるのだろうかと思います。私自身、母が、時々美しい雲の隙間から笑顔で見下ろしているように思えてならないのです。それは、人が皆、上に向かって、上を目指して、向上を願い生きているからではないでしょうか。その究極のゴールである空の上の天国に、人は「神様の描かれたデッサン」の上に一生をかけて描いた絵をそれぞれ大切に携えていき、神様に差し出すのではないでしょうか。
たどたどしい、拙い筆の跡。思いを込めて塗り重ねた証。歓喜の色。憂愁の色。その、どれもが美しい掛け替えの無い人生なのですね。そして、今、こうしている今も、自分の絵は筆を重ねられているのですね。
明日は直前特訓でございます。六本木教室にてお待ちいたしております。お母様方におかれましては、時折、授業見学もなさりながら、どうぞ、宜しければ懐かしのホワイエにて皆様でお茶を召し上がり、募るお話に花を咲かせて下さいませ。