先程は急な嵐に見舞われましたが、皆様ご無事でいらしゃいましたか。今夜の突然の雨でふと思い出したお話がありました。
昨日は年中さんの行動観察のクラスがございました。その折にも、是非、お嬢様に五感で感じる体験を多くさせて差し上げて下さい、ということをお願いさせて頂きましたが、私は幼いわが子を育てる上で、その点を一番視野に入れていたように思います。スーザン・ストライカー著「さわってごらん」という本は当時の私にとって、実に魅力的な本でした。私は、私が片付ければ済むことの多くは、一度は自身の感覚で経験してほしいと考えておりました。
ある日は、調理する私の傍で、1歳半位だったと思うのですが・・・息子が少し開いていたのか冷蔵庫から卵を取り出して持っているのを見つけたのですが、私はすぐに取り上げることはせずに、じっと見守ってみたのでした。息子は私が割るように卵を割ってみようとし、卵は粉々に割れて中から黄身と白身が床に零れ落ちました。息子は無心にその卵の中身に触れ、大胆に両手で混ぜ、次には素足をそっとその上に乗せ、両足を乗せてみたところで滑って立ち上がれなくなりました。全てがそのような日々で、一度経験してみて、面白いこと、安全なこと、逆に不快なことなどを日々習得していくのを目の当たりにするのが私の喜びだったのです。本日の夜の様に風が急に木々の葉をそよがせはじめると、私は息子を窓のところに連れて行き、外を眺めながら「見て。木が『もうすぐ雨が降るよ、そうしたら、美味しいお水が沢山飲めるし、シャワーを浴びて葉っぱもピカピカにしてもらえる』って、皆で喜んで踊っているみたいね。」などと話しかけました。そうして、2人でじっとお外を見ていると、突然、雷の閃光のあと、バラバラバラと、不思議な音がして、空から大粒の雹が落ちてきたこともありました。息子は声を上げて笑い、私も笑って、2人で外に走り出て、安全な場所からその不思議な白い球があちらこちらにぶつかって踊り跳ねる光景を見つめていました。どこか、特別な所に行き、特別な経験をさせるのではなく、日々のすべての生活の時間が息子への教育の題材だったのでした。
ところで、今夜、年長クラスのお母様からお電話を頂きました。夏期講習会で数の操作の練習を行ったのですが、その考え方をさらにご自分で応用させて問題を解かれたお嬢様のことをお話して下さったのです。私がちょうど、数の操作練習の応用として後期で扱おうと考えていた方向へと彼女はちゃんとご自分でステップアップしてしまわれた訳で、大変驚き、また頼もしく存じました。きっと・・・算数が好きになって下さるのではないかしら・・・と嬉しい予感に胸がときめきました。
そのお嬢様が・・・「先生はボンサイなんですって。ボンサイってなあに。」とお母様に質問されたと伺い、笑ってしまいました。講習会の最終日、小テストを終え、前期最後の数の操作練習を行っていた時のこと、あまりにも皆さんが出来るので、「まあ、皆、どうしてこんなに出来るの?天才すぎるわね!」と思わず感嘆の声を上げたのです。すると、「先生の方が天才です。」などという恐れ多いことを言ってくださる方がいらしたので「あら、私はボンサイなのよ。」と言ったのです。すると、皆さんがすぐに「ボンサイってなあに、先生。」と聞きましたので、「さあ・・・何でしょうね。」と笑ってその場は終えたのですが・・・。1を言えば、10を知り、吸収力抜群のお嬢様たち。「それなら、今頃あちらこちらのお宅で『先生は凡才・・・。』ということをお話されているのでしょうね。」とお話をして笑いました。本当に憶えが良くて、教えがいのある生徒さん達です(笑)