先日頂いたお母様からのメールの
<娘は雨が降ると先生にお会いしたくなると話しておりました。「私たち、雨が好きなんだから。」と。>
という個所の、「私たち」には微笑まずにはいられませんでした。なんだか若返る心地も致しますし(笑)。いつかセミプライベートの折に彼女と「私、雨が好きなの。」「まあ、同じね。私もよ。」とお話したことがありました。さりげなく交わした会話をお子様が鮮明に覚えていらっしゃることはよくあります。今後も出来るだけ、星やお花など美しいものを見たら私に会いたくなる・・・とおっしゃっていただけますよう、心がけてまいります(笑)
さて・・・本日は午前中にお仕事を終えた後、久々にお友達と目白で待ち合わせてお食事をご一緒致しました。皆様息子の中学からの母親同士なのですが、途切れることなくこのようにしてたまにお会いしているのです。今日は銀座で歯科医をされているとても素敵なtさんがご都合で来られず、飾らない、さばさばとした気持ちの良いお話ぶりに出会えず残念でした。息子達の中学のクラスの会合で初めてお目にかかり、お席が離れていたものの、会が終了して廊下に出た時にはもう皆様で集まっており、どなたからと言うこともなく、お茶をしましょう。ということになり、意気投合。それから年月は流れゆき、そのうちのお2人の息子さんは医大の5年生でもうお1人はお家のお寺を継がれるべくお勉強中でいらして、もう既に文京区でお仕事をされておられる方もお1人いらっしゃるのです。息子たちは当然ながらもう中学生に返ることは無く、それぞれに準備を終え、社会へと巣立って行くのですね。なんだか感慨深いです。そして、母たちにも変化はありました。この春まで中学の国語の教師をなさっていた方が定年で退職されたのです。なんだか退職してからまだ専業主婦として勝手が分からず、戸惑いを感じておられるのが分かりました。この戸惑いが、根が深い悩みに発展していらっしゃらなければ良いなあ・・・と少し心配も感じました。「ゲド戦記」を訳された清水眞砂子さんが、「子どもの本とは何か」(川崎市民アカデミー出版部)の中で面白いことをお書きになっておられるのです。
「一度は男たちが占有し支配する知の世界に入っていった人間が、やがてそこを後にして、普通の女の人のくらしを全て引き受けてみる、つまり家事をやり、子供を産み育てるという一切をその身に引き受けてみようとする。一度は男たちの占有する知の世界、論理の世界に入っていき、そこの言葉を獲得した女が、やがてそれだけではおかしいと思って、その世界をあとにして女の世界を生き、そこをくぐりぬけた言葉を自分の中に確立しようとする。そういう女性はどういう日本語を喋るのか。」そして、そうした女性を「バイリンガルを強要されている」と表現されておられるのです。バイリンガルとは、勿論、外でお仕事をしていたころの言葉と家庭に入った後の言葉2つの併用を指しています。かつての自分自身もこのバイリンガルの強要を経験し、その危機的状況もよくわかるのです。何がつらいと言って、このバイリンガルを強要するのはまずは自分が自分に、であり、その使いこなし方。が分かってくるまでは自分が分断されそうな思いも抱くことにあるのではないでしょうか。(ちなみに、引用させて頂きました文章のところどころの表現に疑問を覚える個所もございました。女性が占有する職場もありますし、家庭にも知は大いに存在すると思います。しかしながらこの文章の概要は多くの方が経験される危機を素晴らしく的確に指摘されておられると存じました。)こうした問題については、もっともっと私たち自身がよく考えてみるべきことであると考えているのです。こうした意味合いでのバイリンガルは結局どちらの言語の世界にも属しきれないつらさも存在するのではないでしょうか。また別の機会に、子育てを機に一切のお仕事を辞めてしまった自身の経験も振り返り、またお話させて頂こうと存じております。幼稚園時代には「いってらっしゃい。」と「お帰りなさい。」が言えなかった分、大学生になられたお嬢様に今その償いをしたいのだという彼女のお話もこれから考えさせて頂こうと存じております。彼女から皆様に意見を求められましたので、それぞれが思うことをお話していたのですが、退職後、身体的変調もおありでやはり、とても気になっております。
お食事を頂きながらあれこれとお話するうちに・・・息子たちの中高は運動会の日には会場として豊島園をお借りするので、4人で待ち合わせて出かけたのですが、その日は大変風が強く、砂埃をかぶり大変なことになりました。その時のことをお話していたら「こんなに髪まで真っ白になって、私たち、まるで魔法使いみたいねってあなたが言ったのずっと覚えているわ。」とkさんが言うのです。まあ、そんな表現を?・・・。もう私は忘れておりましたが、数年前もそして数年先も、変わらず、私はこの私なのだと思いしめた瞬間でした。気の置けないお友達と本当に思いつくままの気ままなおしゃべりがこんなにも気分をリフレッシュさせてくれるものだとは・・・と思う一日でした。
さて、今日のもうひとつの収穫は自分の好きなものが全て凝縮されているかのような絵本屋さんに出会えたことです。古い絵本が沢山あり、1時間くらいはそこでクラシックの音を聞きながら過ごさせて頂きました。
昔、両親がこの目白に住んでいたことがありました。息子が生まれた頃、私はよく乳母車を押して、あるいは手を引いて「おとめ山公園」に参りました。目白駅周辺も歩きました。長い間、思い出がありすぎるこの周辺を歩くことはありませんでしたが、一人で今日は少し歩いてみようかしら・・・と瞬間考えました。私は立ち止まり、雨に濡れている木々の葉や、その下で明るく光っているお店の明かりを少し眺めてから、やはり雨ではない時にと考え直し、その後奥沢に寄って残っていたお仕事を終わらせ、帰途につきました。雨の透明感が非常に好きなのです。*ちゃんはなぜ雨がお好きなのか、今度伺ってみようと存じます。