これは、ごく最近自覚したことですが、幼稚園の頃や、小学校の低学年時代に、何かに大変優れたお友達を見て、心の底から素晴らしく思い、自分もあのように出来たら!と願ったことは、心の底にずっと残っていて消えないのではないでしょうか。そればかりか、無意識のうちにどこかで自分もその上達を追い求め、案外、人生のひとつの核を作っていくのでは、ということも、最近改めて考えさせられたことです。幼稚園では、歌声の美しいお友達が、ある日クラスメイトの中で先生に指名されて歌い、今でも題名は忘れましたが「そのミルクが・・・」というよく響く美しい声は私の耳の中に残っていますし、その声を聴いた時の驚きと羨望も心に刻まれたままなのです。小学校3年生の時には、運動会の為に各グループで花火の表現の相談をしました。その時、もともと妖精のような不思議な雰囲気を持つお友達が線香花火のように手足をピカピカと光らせるダンスを披露してくれたのですが、その時にもまた、なんて素晴らしいのかしらと感じた驚きは心の中に残っているのです。当時はバレエも習っておりましたが、どんなに美しくバレエを踊っている大人の人を見ても、私の心がこんなに揺さぶられたことはありませんでした。私は、むしろ、厚いお化粧をして、造花が入っているカゴを抱えて不自然なポーズで踊る当時のバレエ教室での発表会に少しばかり美とは反対の物を感じていたのです。勿論、発表会の衣装には心酔しましたけれど。私は身体が堅く、また、トウシューズの痛みにも耐えられないバレエには向いていない子供でしたので、きっとバレエの魅力に届くことが出来なかったのです。でも、子供時代、あるものには感動し、また、あるものには魅力を感じないのは何故なのでしょう。それは、子供時代に、既にその子なりの物事の受け止め方のネットが心の中に出来つつあり、同じ物事が通過しても、素通りするか、深く受け止められるのかは、そのネット次第ではないのか、と思うのです。そして、そのネットの形成は、とりわけお母さまの価値観も大きく作用しているのかもしれません。赤ちゃんがお花を見て、柔らかな花びらの感触や形、色、香りに心が動き、お花に触れる。その時に「まあ、綺麗ね。綺麗なお花ね。」というお母様のお声を聴く。そのようにして、その子が何を良しとして、何を素晴らしいと思うのかは、大きくお母さまが影響を与えていることでしょう。何を美しいと感じるのか、何を素晴らしいと思うのかは、日々、その子供の心に編みこまれていくことなのでしょう。その人が子供の頃に出会った憧れが、その人の人生に少なからず作用し、人生の中で案外、追求し続けていくことの基になっていくこともあるのではないでしょうか。また、美だけではなく、物事に対しての感じ方もまた、同じ経験をされても、お母様の受け止められ方によって大きく変わっていくのでしょう。日々、お子さまの心の中のネットは編みこまれているのではないでしょうか。
さあ、もう、時計は午前1時を回り、本日はお試験の当日ですね。どうか、眠れずに私のブログなどお読みにならずに、今はごゆっくりとお休み下さいね。それよりも、目を閉じられ、今までにあったことを思い出してみて下さい。雨の降る日にも、熱い夏の日にも、親子さんで頑張って今日まで歩いて来られましたね。浮かぶのはお子さまの笑顔でしょうか?それとも、頑張っていらっしゃるお顔でしょうか。泣いているお顔もあるでしょう。それでも、お友達と仲良くする心を大事にされ、自信を持って、どなたも本当にご成長されましたね。そして、お母さま方も、お子さまに負けない位色々なご経験を積まれ、また素敵なお母さまになられましたね。今までに培われたご努力が、どうか実を結んで下さいますように、ずっとお祈りしております。その学校に行きたいという憧れを持って、精いっぱい、お力を発揮するという明日のご経験は、お子さまのお心にまた一本の力強いネットを形成するでしょう。素敵なお友達、様々な事に対して素晴らしいと感じる経験を、明日は是非親子さんで経験していらして下さい。どうか最後まで、強いお心で。最後の最後まで頑張って下さいますよう、お祈りしております。