中学生になりたての頃、私は母の知り合いの、アメリカから戻られたそれは素敵なご婦人のお宅に週一回お邪魔して、英語を習っていたことがありました。私はその方を、フランス婦人とひそかに名付けて(日本人で、しかもアメリカからいらしたのに)いました。ドアのチャイムが、キンコン・・・と、本物の金属のチャイムが鳴るようになっていて素敵でしたし、クリスマスには、本当にシックなクリスマスツリーにもカルチャーショックを覚えたものでした。大きなもみの木から、下がっているのは銀色に光る、無数の銀糸のみで、繊細なつららに覆われたようなツリーには、近寄りがたい静けさが漂っていたのでした。・・・当時、その家のおばあ様はある学校の主だった方であったのでしたが、大変チャーミングな方で、私がある外国の男性の知り合いが出来たと知ると、私の顔を見るたびに「お気をつけなさいね、あちらの方はすぐに接吻なさるから。」と言われ、全くそのような気の無かった私は、それを家に帰って母に話しながら、涙を流して笑っていたものでした。(折角ご心配いただいたのに、すみませんでした)
そんな子供の私でしたが、フランス婦人は、いつも本気で向き合って下さっていたのをありがたく思いだすのです。無知な私が、当時世間を騒がせていたデモ(盛んでした!)について批判的なことを軽々しく口にした時、彼女は静かに私に言われたのです。「なぜ?どうしても、立ち上がらなければならない時もあるのよ。私も、学生時代に参加したことがあるわ。」そして、その時のことを私に話して下さったのでした。
私は、その時、自分の社会に対する無知さはもとより、ありきたりの会話が成り立つのであろうと、たかをくくっていた自分の愚かさに恥じ入りました。
しかしながら、それから大人になって、あのフランス婦人とのように本気で話せる方に出会うのは、やはり難しいのだということも私は知ったのでした。本気で自分の心の奥底の大事なことを語りあう・・・それは、家族や姉妹であるかのように、打ち解けて、何もかもあなたのことなら、解っているわよ!という親しい友人とですら難しいことではないのでしょうか。なかなか上手く言えませんが、夜通し語り合ったとしても、本当に話したいことを話してはいなかったとすら申しあげなくてはならないのかも知れない程、本当に話したい内容を、本当に何の飾りもてらいも捨てて、魂の奥底を見せ合うということは、なかなか得難いことであると思っているのです。そして、そうした語り合いが出来る人が在るという喜びは、何物にも代えがたいことであると考えているのです。
常に、一緒にいなくても、もしかしたら一度もお会いしたことが無くても、本音で通じ合えるということは出来るのではないのでしょうか。
自分にとっての魂の拠り所、真に人生をかけて探求して行きたいこと。そうしたことについて自分の考えや感じたことを静かに伝え、相手の方もそれについて本気で答えて下さる。そうした時間はどんなに忙しくても、手放してはいけないことであると、今、思いしめております。