10月1日。今は真夜中ですが、今日は都内の願書提出の日ですね。どうか、皆さまご無事に出願出来ますように!お天気も悪くなりませぬように!
・・・窓を開けて夜の冷気が部屋に満ちて来た瞬間、ふと、夏の終わりに駆け足で訪ねた涼やかな高原の空気を思い起こしました。
今、あの高原は急に深まった秋の冷たい空気の中で静かに、ひたすら静かに月明かりの下に横たわっているのでしょう。清らかな緑の中を縫う小川も休み無く流れて。
白樺の間の遊歩道をお散歩しながら、あの高原の中に家を建てて、暮らしてみたいと憧れました。(クマが頻繁に出没するそうで、実際は無理ですけれどね。)毎日見ていたい、流れ。毎日畔に座って水の流れと日の光が戯れる様を眺める幸せ。・・・そんな日々を思い描きしばし浸ってしまいました。
あの畔には、幼い頃から大切にして来た人生の幸せの秘密が隠されているように思います。幼なじみの親友と、何とはなしに笑いさざめいていた日々。晩秋。僅か数日だけ白い花に覆われる時があるそうです。その数日間だけはミレーの「春」という絵に感じられたような、ただならぬ妖気があの清らかな風景に漂うような気もします。木々がつける花というものは、なぜか、哀しい。儚いからでしょうか。草花よりも背丈のある、ごつごつした木が花をつけるということは、愛されたくて、似合わない清楚なかんざしを髪に指してみた人も連想されるのです。束の間花嫁の装束のように見目麗しく装って、でも、それが永遠では無く、すぐに散り敷かれて。そこにあるのはもう、既に冬の景色なのですね。
幼い頃夢見たものは、眠りにつくまえに聞こえていたハトの声。ガラスを斜めに通って床を照らす光。ブルグミュラーを弾きながら浮かぶ貴婦人。母の胸を飾っていた黒い粒のネックレス、ほのかな香水、家によく流れていたウインナワルツ。バレエ教室での練習曲に使われた哀しく美しく心に響いたマルセリーノの歌。
そういえば、周り中でさかんに鳴り響いていた鈴虫の音が絶えて来ました。あんなに暑かった夏から、季節は秋、そして冬へと移り変わっていくのですね。来年の1月30日(日)に新春クラシックコンサートを開催する運びとなりました。今回は10年前にも横浜の山手のイギリス館でのクラシックコンサートをお願いし、この10年間忘れられなかった程素晴らしいピアノと、素晴らしいソプラノとヴァイオリンの、本当に楽しみなコンサートです。楽しいトークもご期待下さいませ。第一回生のお姉さま、そして第2回生の皆さまをはじめとする当教室の会員の皆様、また、こうした本物のクラシックチャイルドコンサートにご賛同頂ける方でしたら、会員以外の方でも、ご参加をお待ち致しております。詳しい曲目は今月中にまたお知らせ致します。
昨年同様、真冬のさなかの楽しく温かな集いとなりますように・・・。