昨日、私が国立音楽院で帰り仕度をしていましたら、生徒さんがいらしてちょっと話し込んでしまいました。そして、その時お話した内容が、ずっと心・・・というか頭の中を離れないでいるのです。彼女が最後に言われた言葉・・・「子供達がもし美味しいものばかり食べているのだとしたら、それが美味しいって解らないと思うんです。美味しくないもの、色々なものを味わって初めて美味しいって思えると思うんですよ。そして、良いこと、楽なことばかりしか経験していない子は、やっぱりそれが良い状態だなんて解らないと思うんです。つらいこと、我慢しなければならないこと、色々なことを経験して、初めて楽しいと感じられるのだと思います。」この言葉をずっと考え続けています。同時に彼女と話した「鈍感力」についても。凄く深いな・・・と思うのです。「それ、凄くいい言葉だと思うわ。」と言ったら、「先生、私達気が合いますね!」と言って笑っていらしたけれど、本当にいい言葉に出会えたと彼女に感謝しているのです。
我が子には、本当に美味しいものしか食べさせたくなかったのです。混ぜると真っ赤な色に発色して、粘るお菓子のコマーシャルを見て「これ、食べてみたい。」と言うのにぞっとして、どんなにそれが体に悪いのかを滔々と説いて聞かせたこともあります。そうした子供に与える「食べ物」への姿勢が、子供にさせる「体験」全てを物語っているような気がします。・・・いうなれば、良いことずくしの。
そして、それはいつかもお話した佐々木正美先生の「深く悲しめる子は深く喜べる。」ということにも関係があるような気がするのです。もしかしたら、喜びばかりしか知らない子は喜びの経験の幅だけしか感情の揺れる幅が無いのかもしれないなんて思うのです。悲しみを知る子は喜びの倍、悲しみの幅があるので、嬉しい時は本当に深く嬉しさが感じられるのかも知れません。そして、喜びの経験しか持たぬ子は、悲しみの経験を持つ友に対してコンプレックスを抱いているのかも知れません。敏感に、自分の狭い経験世界を感じ取り、恥じているのかもしれません。・・・どうしても、あるところに行きたくて行きたくてたまらなくてやっと願いが叶って行ける嬉しさは、最初から何も考えずに連れてこられた場合よりも格別に嬉しい筈ですし。
そして、今日。個別指導の前に、自由が丘でアシスタントの先生達と待ち合わせて一時間ほどミーティングをしつつランチを頂いて参りました。お店でお話をしていると、突然大粒の雨が降って来ました。乾いたアスファルトにどんどん雨が模様を描いて行く瞬間て、本当にドラマティックで胸が踊ります。今日の雨はすぐに上がりましたね。