今年の生徒さん達は、どうしてこんなにも表現が素晴らしいのだろうか・・・今日は、正直なところ、鳥肌が立つほど感動してしまった。国立音楽院では、幼児の様々な自己表現力を総合的な視野に立ち、引き出していくプロセスをお話ししているのだが、絵本と音楽のコラボレーションにより生まれるパワーはそれらに欠かせない要素のひとつである。

話はそれるが、成城小学校は授業にドラマによる教育を取り入れている。その授業の様子をビデオで拝見させて頂いたが、あのように、リベラルで本来あるべき清々しく元気な子供たちのパワーは、そのような授業の存在も大きいと思う。音楽の授業も、音楽を、生きたものとしてとらえ、ビデオの中の、音楽に合わせて腕を上げ下げしていたのは、ダルクローズのリトミックの三拍子の指揮であったと思う。ある学校の音楽の授業は、全員、机に着席したまま、元気なく教科書の音符をたどって歌っていた。正直、その時間が、子供たちにもたらすものは何だろうかと、考えさせられた。そもそも、成城小の校長先生の、多少の怪我があっても、子供たちに木のぼりを禁止にしない教育に対する真摯な姿勢に、この学校の理念が集約されていると思う。これは、一見簡単なようで、校長先生にしたら、一番困難なことを覚悟され、背負っていらっしゃるのである。

さてさて、今日のクリエイトの講義は、生徒の皆さまにもお話しした通り、自分でもかなりよく出来ているのでは、と自負する内容の「音楽ドラマ・シンデレラ」を扱った。ブライアン・ウエイ著『ドラマによる表現教育』のなかにもあるが、子供の表現力を引き出すための教育は「劇」ではなく、「ドラマ」が大変有効である。「劇」は、あらかじめセリフが決められ、それを暗記するが、「ドラマ」は、自分で、言うべきことや身体表現までを考え出す、そのプロセスこそが大事な教育なのである。リトミックの即興表現や音楽を聞いて、それをグループで視覚化する試みのプラスティークアニメにも共通するところが大きい。やはり、結果ではなく、プロセスにこそ教育的意義があるのだ。私の幼児教育の一環として、この「音楽ドラマ」をまったくのオリジナルメソッドとして創出し、国立音楽院の授業で展開してきた。 

今日は、プロローグの部分とシンデレラにネズミたちがドレスを作ってあげようとする場面、そして最後に継母と姉たちの歩く姿。コケティッシュに、しかし、意地悪に、という対比もすべて音楽を聴いての即興表現で行ってもらった。プロローグとネズミのドレス作りの2つは、2つのグループに分かれて音楽を聴きながら存分に話し合っていただき、動きを次第に構成していくのだが、その間、私は、CDの操作に回る。そして、その時から、なんだか、胸騒ぎを覚えていたのだが・・・。発表をしていただいて、本当に、びっくりした。表情が、生き生きとしている!音楽の要素をよくとらえている!とくに、ネズミのドレス作りでは、私の目に、実際布がひらめき、ドレスが仮縫いされ、ひるがえり、完成されていく過程が手に取るように見えた!天才的・・・!こうした、素晴らしい表現を見せて頂いたあとは、私は家まで夢心地ともいえるほど幸せな気持ちに浸って帰宅するのだ。そこで、決心したのだが、残りの部分も良い表現が出来たら、発表をしようと思うのだ。ドラマも、プラスティークアニメも過程が大事とはいえ、発表して良いほどの出来に仕上がることがある。今回のこの生徒たちの「シンデレラ」も、まさに、そうしたものの手ごたえを感じている。そして、もしも発表の場が実現したら、子供たちを大勢招待して、一緒に子供たちを巻き込んだ「シンデレラ」としてさらに楽しく進化させてみたいと考え始めている。子供たちにも、あの、私が見えた「布」を見せてあげたい。実際には何もないドレスを、ひるがえして歩いてみることで、表現の楽しさや、大勢でひとつのことを作り出していく楽しさを、存分に感じていただけたらと、切望しているところである。