主人の転勤で」名古屋に居た時、ムーミンの作者のトーベ・ヤンソンが亡くなった。私は新聞記事でそれを知り、涙をこぼした。ムーミンシリーズは、どの巻もそれぞれ、まったく違った趣があり、とにかく深い。トーベ・ヤンソンは、海の中の孤島の生活を楽しんだが、空高く飛行してこの世の中を見たサン=テグジュペリとはまた違った意味で、彼女は海の中から陸地の人々を鋭く見つめていたのだろうか。児童の読み物だけにはとてもとどまらない、登場人物たち。それぞれに、自分にも覚えのある愚かさなどが見え、共感してしまう。しかも、ヤンソン自身が、ムーミンママであるかのように、どんな個性もほっといてくれるのである。そう、ムーミンママの凄さは、まさに、「ほっとく」おもてなしが出来るところなのだ。…自分の家族に対しても。ムーミンママは、ちょっと私には追えないほど高い理想像である。
ムーミンママのエピソードのひとつを紹介しよう。『たのしいムーミン一家』の中のお話である。ある日、ムーミン達は、飛行おにの落していった魔法のシルクハットを見つける。冒頭部分では、このシルクハットに入れておいた堅い卵のカラが、フワフワの雲に変わり、ムーミン達はそれに乗って遊んだり、それは楽しいお話が続くのだが、まだ、このシルクハットが、中に入れたものをまったく違う姿に変えてしまうことなど誰も知らないのだ。
しばらくして、ムーミン達は、かくれんぼをする。ムーミンは,なんと、このシルクハットの中に隠れてしまう。そして、別人のように、変化した姿で中から出てくるのだ。遊び仲間は、それがムーミンであることなど気がつく由も無い。怪しんだ仲間たちと、とうとう喧嘩になってしまうが、そこへムーミンママが登場する。ムーミンは、「だれも、ぼくを信じてくれるものはないのかなあ」と嘆くが、ムーミンママは・・・
ムーミンママは、注意深く見つめました。そうやって、とても長いこと、おびえきっているむすこの目の中をのぞきこんでいましたが、さいごにママは、しずかにいいました。
「そうね、おまえはたしかにムーミントロールだわ」
この場面を、私は特別の感慨も持たずに小学生の時に読んだのだと思う。しかし、自分が母親になって、息子が思春期の反抗期にさしかかった時に、ふいにこの場面が頭の中をよぎったのだ。自分の変貌ぶりに、ムーミン自身がとまどい、途方にくれていた。しかし、母が、見分けたとき、彼の姿は、ゆっくりと元に戻っていく。つまり、生まれた時と同じ、本来の自己を取り戻せたということではないか。母は、息子の変わらぬ本質を彼の目の中に認めたのだ。思春期の一時的に変わってしまったように思える子供を、こんな風に、落ち着いて認めてあげられたなら、どんなに良いだろうか。「本質は、何も変わっていない。」という母の落ち着きの中で、子供は安心してやがて大人になっていけるのだろう。そんな、ことを教えられた気がした。
私の本棚:「ラブ ユー フォーエヴァー」 作 ロバート マンチ
読んでみてください!特に思春期の男の子のお母様。思わず涙です。