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皆様、本日、様々なことがおありだったことと存じます。昨日の「迷子の父母」のことをもう少し書かせてください。私は、原田様に、昨日の絵を見ながら「そういえば、イエス様は迷子になられたことがあるのですよね」と申し上げました。すると、「イエス様は実は大変立派なお話を偉い人達の前でされていたのです。マリアとヨセフがイエス様を見つけてどこに行っていたのですか、探しましたよ。と言うと、私はずっと父の家にいたのです。とおっしゃいました。迷子であったのはマリアとヨセフ、父母の方だったのです。」とお話しくださいました。私は、その時、全く次元は異なりますが、親としての私自身も、そのようなことばかりであったと考えました。息子が自身の道を生きていく為になすべきことをしている間、親の方が思い悩み、彷徨う迷子になっていたことを思い出しておりました。本日、お嬢様達がお父様やお母様から離れられて、お一人で、どのようなことをしていらしたのかは、断片的にお話をお聞きになることだけでしか知ることはできません。しかし、私は、間違いなくお嬢様たちはその時にできることをしっかりとお聞きになり、出来る限りの事をしてこられたと信じております。たった1人で、ご自分で判断をしてこられたのです。その時間は、本当にたとえようもない崇高なお時間であると考えます。お試験の最中、髪を留めていたゴムが切れてしまった時、そのお嬢様は「こびとさん、ゴムが切れちゃった。どうしたらいい?」と尋ねたそうです。すると、こびとさんは「気にしないでいいよ」と答えてくれたとお母様に伺いました。私は、これこそが、自身に問い、答えを見出し生きていく為の自我の目覚めへと向かう発達段階なのではないかと感激しました。奥沢の最後のセミプライベートでは、授業を終えようといたしましたら「もっと勉強したいです」とまっすぐな目で私に伝えてくださったお嬢様がいらっしゃいました。その真剣な眼差しを私は忘れません。お嬢様達は前を向いて、真剣そのもののお気持ちで歩んでいらっしゃいます。そのお気持ちこそを、大切に育みたいと願っております。深い愛でそのお嬢様のお気持ちを見つめられるお母様方のお姿は、本当に、本当に美しく、感動しております。紙芝居「おかあさんのはなし」の最後の場面「お母さんの目は本当に美しい真珠です」の、その真珠の瞳が美しいのは、涙を流し、一度は湖に瞳を沈め、心の目で我が子の命の音を聞き取ったからではないでしょうか。

本日の絵は、昨日に続き、原田陽子様の作品です。毎日この絵を幾度となく見つめ続けております。