本日の直前特訓にて本年度のチョコリットの年長児全ての授業は終了致しました。4時間に及ぶ授業の中で、休憩は2回のみでしたが、授業冒頭から終了まで、驚くべき集中力を持って授業が進められましたこと、お嬢様方のご成長にただ感動するばかりでございました。
本日、お嬢様方に最後にお伝えさせて頂きました皆様への私の願いを書かせて頂きます。
「お行儀の良いことも勿論、大切です。でも、それよりもずっと大切なことがあります。それは、誰も見ていないところでも、正しいことを行うこと、うそをつかず、ずるいことをせず、意地悪をしないということです。」
このことにつきまして、何年も先のお嬢様方に、シモーヌ・ヴェーユの「重力と恩寵」の文章で本日の補足をさせて頂きたく存じます。
『善に同意すること、ただし、意味がつかめたりことばであらわせるような善に同意することではなく、絶対の善に無条件に同意すること。我々が善いものとして心に描いたあることがらに同意するとき、われわれは善と悪を混ぜ合わせたものに同意しているのである。そしてこの同意から善と悪が生じる。われわれのうちにある善と悪の比率は変わらない。それにひきかえ、いまもこれからさきもけっして心に描くことのできないような善に無条件に同意すること、それは純粋に善いことであり、そこから生じるのは善いことだけである。そして、それが持続しさえすれば、しまいには魂がすっかり善いことで占められるようになる。』
私には非常に難しい著書です。でも、心が迷う時、急ぎ足で歩むのを止め、立ち止まり、手を見つめ、何を欠落させながら生きているのかを自身に問いたい時、シモーヌ・ヴェーユのひとことひとことは、私の胸に沁みて参ります。私のよく自問するもうひとことを。
『地獄についての二通りの考えかた。通常の考えかた(慰めのない苦しみ)。私の考えかた(いつわりの至福、誤って天国にいると思いこむこと)』
今年も行動観察クラスの最終日に紙芝居「おかあさんのはなし」を読ませて頂きました。その中に出て来る2つの井戸。ひとつは、楽しいことばかりの幸せの井戸。もうひとつは苦しい悲しいことばかりの不幸な井戸。しかしながら、楽しいことばかり続くのが、幸せなことなのでしょうか。自分が楽であれば、安泰なのでしょうか。紙芝居の中で、おかあさんは死神にぼうやが不幸なめに合えば、その不幸を無くする仕事をするでしょうと語りかけます。
最近、殊に強く感じるのです。人の幸せは、そこにこそあるのではないでしょうか。とすれば、願えばいかなる状態に置かれたとしても、人は幸せになれるのではないでしょうか。
本日は大変分厚い問題文をご用意させて頂き、今確認しておきたい項目とともに、どちらの学校でも必ず出題される知識や言語問題を多く取り入れさせていただき、スーパーハードな特訓の中絵本「ふゆじたくのおみせ」を読ませて頂きました後で、全員に挙手発言をして頂きました。「くまさんとやまねくんは、何故冬支度のお店で自分の物ではなく、お友達のものを買ったのでしょう。あなたは、どなたの喜ぶお顔が見たいですか。その為に何をしてあげたいですか。」お母様に、幼稚園の先生に、お友達に、感謝とその為にしてあげたいことをどなたも目を輝かせて発表してくださいました。「どなたかの為に何かをして喜ばれたときに感じる喜びは、自分の為に何かをした時の何倍も大きいのよ。」とお話しさせていただきました。そして、今までのチョコリットの素敵なお姉さま方のお話もさせていただきました。「私もそうします。」と言われるお嬢様が多く、嬉しく存じました。
本日お送りさせて頂きました大切な皆様が、幸せに酔いしれず、さりとて不幸にも酔いしれず、人の悲しみを知る素敵なお姉さまへと成長して行かれますことを心から願っております。今までチョコリットの燈火を皆様で囲むようにしてお嬢様を照らし、温め、導いて参りましたね。この小さく暖かな輪をこれからも大切にさせて頂き、次年度も邁進させて頂きます。
勇気をもって11月1日をお迎えくださいませ。お力を発揮できますことを心よりお祈りいたしております。