少し前から、お仕事が深夜にまで及ぶ時には、よく、休む前の数分間、バルコニーのベンチに一人腰掛けるようになりました。誰かに話しかけられたかのようにハッとして見上げると、手の届きそうなところからお月さまがこちらを見つめ、その周りには、横浜の空とは思えぬ程はっきりとした星々が輝き、その神々しさに打たれ、長い人生の中、もっと早くからこのような夜空を見つめる時間を持てばよかったと思い占めるのです。

昨日はアマゾンで購入するのではなく、久しぶりに書店の絵本コーナーに参りました。そこで出会ったのが「きょうは そらに まるいつき」と「チロルくんのりんごの木」どちらも荒井良二さんの作品です。「きょうは そらに まるいつき」には、「あかちゃんが そらを みています」のフレーズが3回出てきます。その2回目のフレーズの次のページ、「そらをみて わらっています」の絵の素晴らしさと申しましたら!もしかしたら、赤ちゃんだけではなく、お子様の世界は正にこのような彩に満ち満ちた世界なのかも知れないと、思いを馳せました。「ごほうびのような おつきさま」を積極的に見ようともしないで生きておりました。しかし、バルコニーで出会うお月さまは、誰の為でもなく、自分を労ってくれているように身近にそこはかとなく優しく存在しているように感じられました。独り占めなのでしょうか・・・いえ、姉妹で大好きな母を独占したがったのにも似て、この世にはそれぞれの人が万物を照らす月を見上げて「私のお月さま」と感じるときがあっても悪くはないのではと思うのです。まだまだ、常に与えられ恵まれているのにも関わらず、恩恵を自ら遮断していることばかりなのではないでしょうか。・・・月の無い世界とある世界。ある方が、絶対に良いですよね。

「チロルくんのりんごの木」は、生気に満ちた山々や青空の描写のあまりの素晴らしさに、魅了され、荒井良二さんの作品に改めて心魅かれました。生きる素敵さや素朴で大きな喜びに溢れた絵本です。

その他にも、横浜雙葉の今回のお試験で出題された動物のお医者様の絵本などを包んで頂いているときに、レジ近くに山積みされている本をふと手にとりました。高橋幸枝さんの「100歳の精神科医がみつけた こころの匙加減」でした。この本は高橋様の本当にお辛かったご経験をも、まさに惜しみなく描かれ、読者に提供することで、時に強烈なインパクトで大切なことに気が付かせて頂ける、大きな学びの本となりました。

本日はお試験のひとつの区切りの日でございました。試験結果とは、お子様とご家族様の強い思いの流れがある淵に達した時、そのまま流れ込むか、または別の流れへと導かれて行くかの違いであると、自身のことでも思うようになりました。遮断は流れを止めるのではなく、別の道へと誘います。音たてて流れゆく先には、今まで思ってもみなかった素晴らしい景色が広がっている筈です。やがて、幼稚園児の我が子と一緒に泳げていた流れが、いつの間にかついていけない程の激流となり、泳ぐことを止めた親は、岸辺に上がり、そこから生き生きと泳いで行く我が子の無事を祈り見守るだけになって参ります。ご家族様で一体となり頑張られた年月は永遠には継続出来ません。この受験を通して、お嬢様が真剣に物事に打ち込むことと、ご家族様同士の深い配慮やお互いへの優しさを言葉や態度で表すということを学んで頂けましたら、それこそが将来に繋がる結果であると考えます。

書店でモーリス センダックの「かいじゅうたちのいるところ」を欲しいと言って譲らない目利きのお坊ちゃまにお父様が「ダメダメ、怖いよ。どうしてそんなものばかり選ぶの。」と叱る場面に遭遇しました。私たち大人は、ただ年齢を重ねているだけで、案外、子どもが本当に魅力を感じる価値あるものごとを「そんなもの」として認めないことがままあるのではと感じました。また、厳しい口調で「反抗するのなら、本は今日は買わない。選ぶのをやめなさい。」と、小学校高学年くらいの男のお子さまに大声で宣言されるお母様にも出合いました。私にも、反抗期の大変さの覚えがございます。しかしながら、今ならば、少しは別の見方が出来るのです。反抗・・・それは、その子自身が考えを持ち、ひとりで生きていこうとする、奪ってはいけないエネルギーではないのかと。お母様が大声を出すたびに、打たれるように小さくなっていくそのお子様の後ろ姿を見て、親とはともすれば、気を付けないと子の尊厳までも奪いかねない立場となる難しさを思い、胸が痛みました。

明日は年長児金曜日の行動観察クラス最後の授業でございますね。皆様のお幸せへの祈りを込めて授業をさせていただきます。