あるお母さまより、八木重吉の『重吉詩稿』〈しずかな朝〉の中の「ゆるし」をお心の支えにされていらっしゃるというメールを頂きました。以下に引用させて頂きます。
「ゆるし」
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまえにささげたい
八木重吉の詩に接しますと、心が本当に澄み渡って来るのを感じます。その様な詩を胸に、日々をお過ごしになられます様なお母さま方…本当に、開講以来、チョコリットにお集まり下さいましたお母さま方は、お一人残らず、求心的でいらして、常に内省的で、本当にお若い方ですが、私の方が多くを学ばせて頂いてまいりました。その様な素晴らしいお母さま方との出会いは、私のかけがえの無い宝物のひとつなのです。
八木重吉の詩「鞠とぶりきの独楽」の中に
こどもがよくて
おとながわるいことは
まりをつけばよくわかる
という箇所があります。短い文ですが、いつも、大変面白いと思い、また、共感しつつ、深く考えさせられるのです。八木重吉は、間違い無く〈こども〉の魂で詩を書いているのです。まりをつく子供の無心さ…それは、前回のブログ「大人の無心」にも書かせて頂きましたが、ただ、ひたすら、心を込め、喜びを一回、一回、全身で感じ、迸らせながら、生きていくということに繋がる筈です。
もう一編、私の好きな詩をお送り致します。
「おおぞらの こころ」
わたしよ わたしよ
白鳥となり
らんらんと 透きとおって
おおぞらを かけり
おおぞらの うるわしい こころにながれよ
チョコリットのお母さま方が輪になられ、年々重ねられて参ります年輪…本当に感謝の言葉が見つかりません。皆様、ありがとうございました。これからも素敵な輪が重ねられてまいりますように[E:confident]