今日は母の命日でした。父や妹とひとしきりお話しが終わると、私はおもむろにピアノに向かいました。懐かしさから、せめて椅子だけでもと横浜の家のピアノ用に連れていってしまった為、実家のピアノは椅子無しの淋しそうなばつが悪そうな風情です。私は食堂から独りがけ用の椅子を運んで来ると、もう本当に古くなったピアノの蓋を開けました。外では雨が降っています。私が実家でこうして弾き始めると、必ず母と祖母が喜んでやってきて私の背後のソファに座ったものでした。母は必ず「花の歌」を、祖母は「あざみの歌」を私に弾いてと言いました。私は3歳の時に家にやって来て、ずっとお友達だったピアノの鍵盤に指を走らせました。ピアノは歌い始めました。ああ、この声。私が100パーセント好きだとは言えなかったこの声。でも、このピアノの声は、まるで懐かしいもう一人の家族のような声で私に語りかけ、静かになってしまった実家の中を通り、壁を突き抜けて雨の外へと拡散していくのでした。音は時間も空間も越えて渡っていくのだろうか。そう思うことがあります。お寺で鳴らされる木魚や鐘の音、よく響く和尚さまのお経など、何処まで響いていっているのだろうかと良く考えさせられるのです。

実は、これは、夢か現かいまだに判断しかねる出来事なのですが・・・。母を失ったばかりの当時、私は傷心の只中に居たのですが、ある朝、夢の中でなのか、「心の塵を捨てよ。」という誰かの声が聞こえたような気がしたのでした。「心の塵」・・・?気になったので調べてみますと、「心の塵」とは俗世間への執着という意味もあるということが分かったのでした。それを知り、私は、不思議とは思わずに、「やはり・・・。」と思ったのでした。私は母が亡くなってから、「ごめんなさい。」と母に謝り続けていたのです。私が未熟であった為に、母には余計な苦しみや心の負担をかけてしまったと思っています。例えば、新幹線で看病に駆けつけた週末、妹と2人のうち「今夜は、**ちゃんに看病お願いするわ。」という母の真意を推し量りもせず、「母は心の底では妹の方が大事だったのではないか。」などと、今書かせて頂いただけでも目も当てられないようなことを本気で思っていたのでしたが、翌日父から「昨日は国立音楽院の授業の後で来てくれたから、疲れているのだと思って**の方に看病を頼んだらしいよ。」と聞かされ、「ああ、なんて私は料簡が狭いのだろうか。」と反省しきりであった出来事をとりましても、心の塵が私の目を塞いでいたことは間違いないのでしたから。

「心の塵」のお話しは、それからも私の心を離れることは無く、常に私の脳裏にあるのです。この「心の塵」ですが、「塵」とは名ばかりの、大変重さのある大荷物であり、急いで祓わないと肩がこってしまうほどです。そして、「心の塵を捨てる。」と、本当に重荷から解放されるのを感じるのです。

家族で心静かに、楽しく過ごした今日という一日。思い出を語り合う中で、私は「長女」である私を普段は封じ込めていたさなぎから開放させて、出てきたばかりのちょうちょのように徐々に羽を広げていき、かつて一緒に住んでいた家族のもとで、羽を伸ばして羽ばたいて来たような解放感もあり、忘れがたい一日となったのでした。