おめでとうございます!**ちゃん、本日、光塩合格のお知らせ[E:cherryblossom]私も本当に嬉しく、幸せを共有させて頂きました。あんなにも穏やかなおっとりとしたいつも笑顔のお嬢様が嬉しさに泣いていらっしゃると伺い、しみじみとこれまでの思い出が過ぎりました。控えめなお嬢様ですが、集団行動で立派にグループの調停役に立てたこともお父様に伺い、本当に嬉しく存じます。これからのご成長を楽しみにさせて頂きます。合格はお別れという教室の定め、つらい時も確かにありますが、沢山の切なる皆様の夢が叶いますように願い、私も一歩一歩これからも歩いてまいりますね。

本日六本木教室は年長さんの模擬試験でした。今の時点で予想される傾向についてお話しさせて頂き、それをテストに反映させて頂きましたが、どなたもかなりお力がついてこられたのを感じました。あとは、今日見つかった弱点の修復作業をお願いいたします。それにしましても・・・私は毎年毎年、お母様方より感動を頂いているのです。同じチョコリットのお母様方ということの繋がりと助け合い、手を取り合い、合格していかれる姿勢は、ともすれば利己的に走りがちになるかもしれない受験ですが、お母様方が高潔さを伴われ対峙されているそのお姿に深く感銘を覚えるのです。でも、それは、必ずご自身に帰ってくることだと信じております。本日、アシスタントの先生が、解説時間のお嬢様たちの共同制作について、「今日も感心しました!皆、ライバルでは無いんですよね。お友達が上手に絵が描けるのを心から尊敬して、褒めあって、認め合って・・・横のつながりの固さを感じました。」とお話ししておりましたが、それは・・・まさに、お母様方のお姿そのものではないでしょうか。

それにしましても、やはり、面接を終えられたお嬢様は一様にご成長が感じられるのは何故なのでしょうか。やはり、ご両親様とともに、それだけの大変なご経験をされたのだと言えるのではないでしょうか。ピアノの発表会が終わると、見違えるようにその曲が上手になっていたことはありませんか?いつかの私、大人になってからの国立音楽院での発表会でのことですが、ドビュッシーの「月の光」を弾いたのですが、自分の中では望んでいた以上に間違えることもなく弾き切った瞬間のことです。ピアノの椅子から立ち上がり、お辞儀をし、舞台の袖までは落ち着いて歩いて行ったのですが、知らずにいつの間にか駆け足になり、楽屋に続く道を駆け抜け、そして、誰もいない部屋に駆け込んだ瞬間、予想もしなかった大きな喜びと感動の渦に包まれ、かみしめた日のことを思い出します。様々な感動や強く心が揺れる経験、緊張を乗り越えられたこと、そして、何よりもお父様もお母様も今まで見たことがないお顔とお声で、上がられながらもお子様について、また、学校の素晴らしさについて真剣にお話していらっしゃるのを目の当たりにされたお嬢様が、その学校をお受けになるご準備が一歩前に進んだのだと考えるほうが自然なことなのかも知れません。

お話は脱線しますが、私が自分の人生の中で<あの時が自分の時間の軸だったのだ。>と、今でも思うちょっと不思議に思われることがあるのです。勿論、私にとっての一番は「今」です。「今」が最大の関心事であり、精魂込めて「今」を生きてはおりますが、あれはおそらくは20代後半のことだったと思います。季節は夏、強烈な日差しを浴び、無防備にも私は紫外線対策もせずに、海岸に一人で座っておりました。一緒に来ていた妹達はそこにはおらず、私は半そでのシャツから伸びた自分の腕や足を見つめていました。そして、この今ある自分が年を取り、今あるこの腕や足が衰えていく様を想像してみました。しかし、その時の私は、強烈に私自身の時間に重なっていたのです。私は「こんなにも今の自分が永遠に思われるのは可笑しいことなのだろうか。」と思いました。向こうのほうで妹たちの笑い声が聞こえてきます。今ある全ての状態はこの先変わる筈もない、時間の固定感を私はその時感じていたのです。あの瞬間だけ、「永遠」へと繋がる不思議な覚醒感があり、今でも目を閉じるとあの時の自分と重なれる・・・言わば、私のタイムマシンのキイがそこにあるように感じるのです。想像の中で私は海岸に座っていた私に重なることが出来、そして私は立ち上がり、波打ち際で笑い声をあげている妹たちのもとへ「まって。」と駆けていけそうです。それは追憶と呼ぶにはあまりにも鮮烈な「今」という時間感覚であり続けているのですが、過去に回帰しつつ生きられるのはまだ私が・・・言うなればまだ少しは「若い」のであり、あの海岸の私に重なれなくなった時が来るとしたら、その時が私が時に自身を明け渡した時なのかもしれません。
過去を振り返ると、その時間軸の中心かららせん状に、もっと古く、三つ編みの、妹が生まれたばかりのちょっと淋しそうな幼稚園の年長さんの私がポツンと取り残されていたり、思いつめたような表情の高校生の私がこちらを見上げていたり。と、こうして今ブログを書く私もまたいつかはこの時間のらせんの一端にポツンと座っているのを、未来の私は見つけるのでしょうね。

「神よ、私にあとどれくらいの時が残されているのかを教えて下さい。」・・・このような聖句(正確ではなく恐縮です)を取り上げて、「マリアは歩みぬ キリエ エ レイソン・・・」という美しい旋律の聖歌を選んだ中学2年生の私は、ある朝のホームルームで毎回交代していく宗教の司会のようなことをしていました。14歳の選んだ「残りの時間」についての聖句ですが、あの時に感じていた時間の質感は今とかなり違うように思えます。今よりももっと透明で澄み渡り、しかしゼリーのように重さがあって、前に進みにくかったように思います。今はまるで抵抗が無いかのような空気の中で生きていますが、本当に空気が無く、知らずに窒息していた!などということが無いようにたまには立ち止まって深呼吸する必要はありますね。

さて・・・お話しが随分ずれましたが、六本木クラス年長児の皆様は今がまさに未来に繋がる覚醒された「今」なのかもしれません。この、「今」の喜びは親子さんとも、生涯に渡る永遠の喜びとなるでしょう。面接で少し何かがあったからと言って「これで、終わりました。」とキッパリと言い切られておられるお母様、それはそれでさっぱり感に好感も覚えますが、全然終わって等いませんので、どうぞよろしくお願いいたします(笑)

夜は少しだけ涼しくなりました。皆様、お風邪にはお気を付け下さいませ。