今日の午後は、何か不思議なことが起こりそうな輝く曇り空で、時折思い出したように小雨が混ざりました。いつもそうですが、お子様とお話していると、会話が妙なる調べに変わっていくような心地にさせられるのです。今日の奥沢でのセミプライベートでのことです。「先生、神様は人を死なせるのが悲しくないの?」突然そんなことを聞かれました。色々な想いが心の中に溢れました。人の肉体を有限とされた理由・・・とても深い深い質問でした。「とても悲しいと思うわ。」「じゃあ、何故死なせるの?」「それはね、これから生まれたい人達の為にだと思うわ。」「死んだらどこに行くの。」「神様のおそばによ。」「そこには、お祖父様も、犬も居るから、私、会えて嬉しい。早く会いたいな。」「でも、あなたがあんまり早く会いに行ったらお祖父様も犬も悲しまれるわ。あなたの長い人生を楽しんでからね。」そんな会話が、どのお子様とも、ふと、というタイミングで始まるのです。「人を死なせる・・・肉体を有限とされた神様はどんなお気持ちなのか」という問いを心に芽生えさせた彼女は、もしかしたら大人になって人の命に関わるお仕事に着かれるのかも知れない、という思いが致しました。例えばお医者様になって、人の命を救おうとしながら、幼い日に真っ直ぐな眼差しで私に問いかけた純粋な疑問を知ろうとするのかもしれないと・・・。また、もうお一人。いつもはシャイな彼女が、目を輝かせて「先生、私、小人を見たことあるの。」と言うのです。「まあ素敵。どこにいたの?」「夜、家のカーテンの上に2人でいたの。キラキラ金色に輝いていたの。」…もし、この世界がこのような人々で構成されていたなら、勿論、小人も姿を現すのでしょう。彼女達とお話していると、神様の国も、小人や妖精の国もたいそう近いところに降りて来るように思うのです。小人は彼女の心の中に輝いたまま住みついたのでしょう。描かれる絵の色あいが本当に美しいのです。どうか、どのお子様の心の中にも芽生え、住み着いている清らかな尊いもの、その美しさを、これからの成長過程で大切に育んで行ってほしい、とそっと願いました。
さて、このお2人ですが、セミプライベートを始めてから、お互いが気になりつつもなかなか近づきあうことが難しく、何とか打ち解けあうよう願いながら様子を拝見しておりました。すると、今日、少し疲れ気味のお2人の為に、気分を変えるべく黄色、青、緑、赤のセロファンを窓に見立てて、お互いにセロファン越しに見つめあったところ、2人は心の底から「わあ、黄色のお顔!周りも全部黄色!」と驚いて大笑いしたのです。(もしかして、セロファン越しに覗くのは初めてだったのでしょうか)そしてお互いにひとりの笑いが、お友達との見つめ合いながらの笑いあいに変わっていき、2人はしばらくすると本当に打ち解けてきて楽しそうなので、「あら、2人はそんなに仲良しさんなの?」と申しますと、「私達、姉妹なの。でも、家にも姉妹がいるから・・・私たちは双子ね!」「そうなの。私たちは仲良しの双子の*ちゃんと*ちゃんなの。」と愛称まで決まり、その後はその呼び方で呼び合っていました。2人ともほっぺがつやつやと桃色で、本当に嬉しそう。今まで他人同士であったのが、本当は双子同士であったと気がついたあの「ふたりのロッテ」のお話のようだと思いました。お迎えに入っていらしたお母さま方も驚かれていらっしゃいましたが、私自身、幼なじみの親友と居る時に、両方の親同士が「まあ、なんて仲が良いのでしょう!」ということを常に言い、それが嬉しくもあり、ますます仲良しになっていったのを思い出すのです。お友達に心を開けるというのは本当に心地良く、勇気と自信を与えてくれます。各小学校での説明会やオープンスクールが開催され、心の底から「やはりこの小学校しか無い!」と感動されつつも、「でもまだ準備の方が・・・。」と焦られるのも逆に今は必要です。どうぞ、焦ってペーパーに力を入れて下さい。特に弱点を中心に、です。そうなさりながら、上手に気分転換も取り入れて差し上げて下さいませ。まだまだ長い夏はこれからなのですから。