前回、手は繋ぐためにある・・・と書かせて頂きましたが、昨日の授業終了時に、お母様方とエレベーターホールでご挨拶をしながらあれこれお話をしている間、何故か左手が温かいのです!振り返ると、生徒のお嬢様達が順番に私と手を繋いで下さっていて・・・振り返るたびに繋いでいる方のお顔が変わっていて、どの手も柔らかくて本当に小さくて、クスクスと笑い声がずっと聞こえているのですが、お話に夢中で左手を預けたままにしておきましたら、最後に振り返った時にAちゃんが私と手を繋いだまま小さな長椅子に腰かけ、無邪気なお顔で見上げていたので、思わず笑ってしまいました。・・・どのお嬢さまも、本当に可愛い過ぎるとアシスタントの先生方とお話をしながら帰りました。昨日の授業では私も制作のテストがあったりと気合も入り、授業中、厳しいことも多く申し上げておりましたが、心の底の気持ちをお子さま達は皆本当に理解して下さっているのを感じます。途中で挫けてしまわぬ子、甘えずに自分の力でなんとかする子になってほしいという思いで、手助けするのは本当に簡単なことなのですが、手は出さずに心の底で「頑張って!あなたには出来るのよ!」と願っておりました。最後にはどのお嬢さまも素敵な作品が出来上がりましたね。題して「お城に向かうシンデレラの馬車」。今まで頑張って来た小学校の入試にも良く出る紙の制作の基本を盛り込んであります。複雑に見えますが、ひとつひとつは本当に基本的なものですので、ご家庭でもまた楽しみながら作ってみてください。小学校に上がられてからも、制作や絵画が大好きになって下さったら嬉しいです。舞踏会が始まるのは夜です。それで、シンデレラがお城に向かって馬車を走らせているのは夕方なのではと考えました。そこで、今回の制作では夕焼けの中のシルエットとして木も馬車の馬も黒で作って頂きました。ただ、昨日は魔法のかかっているカボチャの馬車とお城は金色を使ってみました。作りながら、模倣制作ではありますが、お子さまお1人お1人が心を動かせながらひとつひとつを切り、台紙の上に物語を創り出していって下さればと願っておりました。
実は、最近、「体験する」ということの意味をよく考えるのです。例えば、私は旅が好きですが、今までの旅を振り返ってみても、自分の意思で自分の行きたいところに行き、したいことをした旅は「体験」として残り、そうではなくパックツアーの旅は「経験」として残っているのを感じるのです。「体験」には、「経験」に比べると鮮明な記憶が残りやすいように思います。なぜならば、「体験する」ことには自分の意思があると思うのです。誰かに事細かに指示されるのではなく、それが自分にとって必要な、魅力あることだから、という止むに止まれぬ気持ちで自分から進んで未知の物事に向かって行く。その時大きく動く心や頭は、その時感じたことや知り得たことを忘れないのではないでしょうか。「体験」には流れて行く時間に向かって行く身体に、空気抵抗のような手ごたえを感じるけれど、「経験」にはあまりそれが感じられないで時間は素通りして行く。そんな感じが致します。仮にそのように位置付けてみた時に、私の授業で生徒のお子さま1人1人に求めるものは「体験してほしい」ということなのです。カボチャの馬車が少しばかりいびつでも、私は今の時期、何もお嬢様に申し上げません。そんなことを気にして、委縮して何かを作るとしたら、それはもうそのお子さまに取って受験準備そのものが苦痛でしか無くなってしまうでしょうし、製作そのものも大嫌いになるでしょう。制作の得意なお子さまは実際作ることも大好きですし、ご家庭でもよく制作に楽しく取り組まれていらっしゃるのです。(それはまた、ペーパーにも全く同じことが言えるのです。)ただ、大きさや形、位置などの模倣力の欠如、また模倣はある程度雑でも良しとするお気持ちは制作にもペーパーにも大きな問題となってしまいますので、これから秋までの期間で、六本木クラスでも練習してしっかりと力をつけて行く所存です。また、ご家庭でも練習して頂きますように次回、お話させて頂きます。
2月5日の模擬試験でも模倣制作テストはございます。頑張って集中して下されば8割は得点出来ますように制作致しております。今回の模擬試験が小さな成功体験となって下さいましたら有難く存じます。皆さまで励まし合い、頑張りましょう!