朝、5時に目が覚めた時、雪のにおいがして、雪の作り出す静けさを感じて、『ああ、夜中に雪になったのだ。』とベッドの中に潜ったまま思いました。昔、子供の頃に飼っていた猫のセピア。セピアが目を大きくして耳をピンと立てて何かを聴いている時、私も、セピアに習って一緒に何かを聴こうとし、セピアが髭を動かしていれば、私もそれに倣って周りの空気を感じ取ろうとしていたように思います。時々、家族に「動物のようにお天気の変化が分かるんだね。」と言われるのは、セピアと居たからなのかもしれません。この冬初めての雪。お子さま達はどんなに喜んだことでしょう。昨日は新年長さんの木曜日クラスを終えた後、アシスタントの先生達を六本木の「クローバー」にまたお誘いしてしまいました。アシスタントさん達とよくお茶やお食事をしながら色んなお話をするのです。真剣に六本木クラスのことをお話する以外にも先日は飛行機の安全性の向上について?盛り上がりました。スイス航空にいらした方がジョークでお話していた飛行機に乗る時の特別な装備の服装のことなど、沢山笑いあってお話することもよくあるのです。そう言えば「クローバー」はアシスタントの先生のご両親様の初デートの場所だったそうで、昔の六本木の華やぎを感じる老舗です。店内のお紅茶も全てマリアージュ フレールで、昨日は私はミルクティーにあうウエディングを頂きました。若い方々とお話をするのが本当に楽しいのです。国立音楽院の授業も後期はあと2回になってしまいました。今回の学生たちは、今までにも増してひとりひとりの才能が輝いて見えました。毎年のことながら、お別れはなかなか寂しいものです。先日は、「そっといいことおしえてあげる」という絵本から子供達の表現を引き出すという授業で、きりんに乗って、お月さまの光のかけらを食べるという場面を即興演奏してくれた学生がいたのですが、本当に月の輝きに満ちた光景が現れ、すぐに教室はサバンナのその絵本のページの世界に変わっていったのでした。恐らく、その場に居た誰もが感動していた筈です。こうした、若い方々との様々な表現に関わっていく時間は私には得難いものなのです。私の授業では、頻繁に絵本を楽譜のように置いて演奏をして頂くのですが、先日は「こんとあき」で、こんがずっと言い続ける「だいじょうぶ、だいじょうぶ」(場面により、トーンが変化して行きます)を伴奏として弾いてもらい、私はその伴奏に合わせて物語の中身を即興して、それぞれの生徒との一風変わった連弾を経験しました。弾き終わると、それぞれの学生が「楽しかった!」と言って下さり、絵本の中を一緒に旅して来たような感覚に包まれました。何が素晴らしいと言って、じっと表現すべきものを心に満たし、それを無心にピアノに向かい、表そうとする学生たちの表情。彼らには伝えて居ませんが、これほど美しく尊い表情があるのだろうかと、ひとり、心の中で感動しているのです。それは、ひとりひとりのまだ幼いころの無心に遊ぶお顔と出会えたかのような天使のように無垢な表情なのです。彼らはやがて幼稚園やリトミック等の幼児教室、小学校の先生になる方もいらっしゃると聞きますが、是非ともこの表情そのものを子供たちに見せてあげて欲しいと願います。そして自分が感じたことを集団で話し合い、集団での表現が成功した時の喜びを是非経験させてあげて欲しいのです。授業の中で、学生同士お互いが、生きている血の通った人間同士という絆を作るべく、私はよくお互いの手に触れて手をつないで頂きました。それで親しみが増したということも確かにあったのではないでしょうか。手は、つくづくしっかりと繋ぎ合う為の形をしていると思います。余談ですが、先日マニラに居る息子が工事現場の傍を通ると、2メートルも掘られた穴の中から女性の誰かを呼ぶのんびりとした声が聞こえたそうで、穴から出してほしいと言われたので、手をつないで、引っ張り上げてあげたと言っていました。息子は「どうして穴の中に居たんだろう。」としきりに不思議がっておりましたが、私は息子が通りがかり上でも小さなお役に立てたことも含め、なんだか愉快になりました。