皆さま、本日は本当にお疲れ様でございました。今日一日で、本当に色々な事があったようですね。私もお電話やメールを頂き、しっかりと拝読させて頂きました。お試験が終わり、親子さんで素敵なお散歩をなさった方・・・そのお散歩は、きっと一生お嬢様のお心に残ることでしょう。ありがたいことに、お試験には私が差し上げたお守りとともに、前回のチャイルドコンサートで私が手作りした音楽の妖精さん(小さな小さなお人形です)も偲ばせてお試験を受けていらして下さった方々がいらして・・・。まだ、持っていて下さったのですね。そのようなお役に立てて頂けるのでしたら、今年も是非差し上げたいと思ってしまいました[E:shine]

第一志望校への合格は、イメージ的には、寄せる波に向かって海の中のきらきら光る宝石のような石に手を伸ばすようなものでしょうか。子供の頃に経験した夏の海の出来事が浮かびます。確かに手ごたえはあったように感じて、でも次の瞬間、波は力強く引いて行く。あわてて、流れて行かぬように手を砂浜に押しつけながら、もう完全にあの石は流れて行ってしまったのだと思う。そして、また寄せる波の中で握りしめた手を開くと、少なくなった砂に混ざり、あの石がちゃんと手のひらに残っている!そんな嬉しさに似ているように思います。

そして、もう今は天国に居る私の母は、どんな時でも私が一生懸命に流れに逆らって押さえた手がたとえずれてしまい、大切だと私が感じた石を見失ったとしても、押さえ方が悪かったのだとは絶対に言わない母でした。一緒に浜辺を歩き、もっと他に綺麗な石や貝殻が無いか、砂浜の宝物を探してくれるような人でした。私の母では無くても、きっと、子供の喜ぶ顔を見るのに労を厭わぬのが母親なのだと思います。表現のちょっとした違いで、その宝物の石を我が子に手に入れさせてあげたいあまり、逆に我が子を責めてしまうこともあるでしょう。でも、その時点で、その光る石はお母さまのものになってしまうのです。すると、その先、その子はもう自分の為に石を拾う気持ちが褪せてしまうかもしれません。お母さまの為に石を拾う人生。その子の人生はお母さまの人生にすり変えられてしまうでしょう。

合格発表で、もしも嬉しい結果ならば、お子さまの為に喜び、もし違ったら、お子さまの為に、お子さまの気持ちの分量と同じだけ想いを共有して差し上げて下さい。長い人生の中で、いつとは知れず、誰にも光る石を拾う時はいくつも用意されているでしょう。何度でも、自分から拾いに行ける心こそ、全力で守らねばならないことだと心から思うのです。

明日からもまだまだ大変な日が続きますが、どうかお身体だけはお大切にされ、お嬢様の全てのお力と素晴らしさが発揮出来ますように!切にお祈りしております。