フェリシモという会社をご存じだと思います。その会社と三重県の子供の本の専門店「メリーゴーランド」が一緒に作ったという、全33冊の「おはなしのたからばこ」シリーズの中に、今江祥智 作にあべ弘士 絵で「熊ちゃん」という作品があるのですが・・・色々な意味でちょっとコワい作品であると言えます。麻里ちゃんという女の子が家族がお引っ越しの後片付けに追われる中、一人ぼっちでいて出会った「熊ちゃん」が表題になっているのですが。麻里ちゃんは、いつもいつも家族の誰かに呼び掛けます。でも、返って来る返事は「あとでね。」であり、しかも、その「あとで」が後で実行された事はあまりないのです。嬉しいこと、楽しいこと、そして、手を貸してほしいことを麻里ちゃんは家族に訴えて来たのです。「ずうっとむかし」から・・・。でも、それに対しての共感の言葉はひとつも無かったのです。ある日、引っ越しの荷物の中に見たことも無い青いリボンの掛けられた箱。「最初に気がついたのは麻里ちゃんだった。」のです。私には、この青いリボンのプレゼントの存在が、この物語の結末に繋がる麻里ちゃんの心の中に出来た最初の染みのような心の亀裂、心の中に芽生え始めた家族への断絶の気持ちの芽のように思えてなりません。小さな幼い子供の心に広がり始めた闇。麻里ちゃんにとっても、それがそんなに大ごとに繋がることとは思っていなかったでしょう。なぜなら、最後まで無邪気にそのプレゼントの箱から出て来た「熊ちゃん」を家族に紹介しようとするのですから。麻里ちゃんが生まれてからずっと家族から受けて来たのは、まるで居ないかのように扱われ、保育園のお迎えも、何もかも、いつも一番「あとで」だったということ。もし、その点について、麻里ちゃんの家族に尋ねてみたら、おそらく「こんなにも忙しく働いて子供のお話に耳を傾けてあげる時間が無いのも、子どもへの愛情からですよ。」と、言われるかもしれません。でも、麻里ちゃんは箱を見つめ、ついには箱に辿りつき、そして中から出て来た熊ちゃんに抱かれて・・・最後のページで、読者は一瞬、ホッとするでしょう。何しろ、2人は本当に気持ちよさそうなまるで5月の様な気持ちの良い森に迎えられていくのですから。そして、その次のページに読者が期待するのは、おそらくこんな展開ではないでしょうか。「その後、森の中では驚くほど楽しいことが待ちうけていて、2人は思う存分楽しみました。そして、気がつくと、麻里ちゃんは熊さんのぬいぐるみを抱きかかえて、眠ってしまっていたのでした。」などの様なハッピイエンドを・・・。ところが、この絵本には、もう、次のページは用意されていなかったのです。物語は、あまりに唐突に終わりを告げるのです。麻里ちゃんは、森から帰ってくるのでしょうか。何故、熊ちゃんに連れられていったのでしょう。森に向かっていったのは、明らかに麻里ちゃんの意志です。家族は、再び、もとの麻里ちゃんと出会えるのでしょうか。私を含め、この絵本のこの結末に出会った人は、おそらく「約束が違う。」といった思いを抱かれるのではないでしょうか。私は、今江祥智さんが一番言いたかったのは「約束など、何処にも無いのですよ。」ということでは、と思うのです。小さな家族の思いを受け止めたり、共感することなく、日々の生活に追われる大人達。一人の人、としてではなく、「子供はのんきでいいなあ・・・。」のお父さんの言葉に象徴されるように、「子供」全般として扱われる寂しさに向き合う事無く、忙しさに感ける日々。それでも、そんなに忙しくしているのは、全て、あなたの幸せの為なのだから、解ってくれるわね。そんな、私達親の背中を見て、育ってくれるわね。無邪気に熊さんと夢の世界に出掛けたなら、また元通り帰って来てくれるわね。だって、それが「約束」でしょ・・・。と、思っていたら、ある日、約束されていたと思っていた次のページが消えていた。この絵本はそんなことを警告をしてくれているのではないでしょうか。麻里ちゃんのお兄さんが、「今のうちに、うんと遊んどくんだぞ。あとで後悔するぞ。」と言った時に、麻里ちゃんの頭のすみっこにはぽっちり海が芽を出し、ふくらんで、ハンカチ位に広がる場面があります。麻里ちゃんは「こうかいって、御船に乗って海をゆくことでしょ。」と考えるのですが、熊ちゃんの入っていた箱に掛けられたリボンの色は、麻里ちゃんにとっては家族の外へと漕ぎ出していく「航海」の、また、家族にとっては文字通り「後悔」に彩られたプレゼントの象徴のように思えてなりません。

ロシアの童話にもこのような救いの無い絵本はありますね。「おだんごぱん」での、おだんごぱんがあっけなくキツネに食べられてしまう終わりのシーン。「ゆきむすめ」で、火の上を飛び越した娘が消えてしまう最後のシーン。それと同じ位の驚きを読んでいて味わう本です。森は、麻里ちゃんにとって、きっとこの上なく素晴らしいところとなるでしょう。何故なら、それは麻里ちゃん自身が頭の中で作りだした世界なのだから。麻里ちゃんにとって、熊ちゃんが「前からこんなのがほしい」と思っていた通りの理想の贈り物であり、自分の好きなもの全てを次々思い浮かべ、かわいくてきれいで、しゃれている、理想を結集したスミレという名を名付けたように、麻里ちゃんにとっての森は、何処に居るよりも麻里ちゃんにとっての快適な居場所となってしまうでしょう。そして、子供が一旦、その場所に入り込んでしまったら、家族は、そこから呼び戻すのに、どんなに大変な心労と歳月を要することでしょうか。私たちは、案外、「約束事」の存在を信じて生きているのではないでしょうか。その「約束事」にすがって、また、その「約束事に」甘えて・・・。しばしば、今立ち止って、振り返ってみなければ取り返しのつかないことに対してまで、視野を曇らせてしまうこともあるのではないでしょうか。

私たちは一体、何から「約束事」を得ているのでしょう。家族や、誰かに対してどんなにひどいことをしても、謝る時間は必ずある、と信じているのも、また、「約束事」のひとつではないでしょうか。例えば、すぐに謝らなくても亡くなる前に駆けつけて手を握り、「ごめんなさい!」と言える時間が用意されているようになんとなく思っているのかもしれません。でも、お別れは突然にやって来ることが多いのです。映画やドラマの中で、そのようなシーンを数多く見たことがあると言っても、それは、やはりあくまでも作られた世界なのです。

「おはなしのたからばこ」シリーズの中には、本当にたくさんの魅力ある傑作が含まれております。またいくつかご紹介させて頂きますね!