今日がお別れと知りつつ、これからもずーっとお会いできるかのように、皆さんを、怒ったり、諭したり、頼んだり、励ましたり。そして、あっけなく2時間は過ぎ・・・まるで、また来週お目に掛るかのように皆様とお別れをしましたね。この大切なお試験前の最終週と思いますと、もう、とにかく無事に持てるお力を全部出して受けてきてほしい!という思い一心で授業をさせて頂きました。
そうした意味合いでご指導させて頂きますと、やはり、どうしても、問題を聴けていないのが目立ちます。惜しいです。間違い探しの右左どちらの絵に印をつけるのか。また、その印は×なのか、○なのか。テストはご家庭のお勉強の延長線上にあるものではなく、非常に限られた時間の中で、その場で1回だけ読みあげられた問題を、聴き直すことなく、瞬時に何をすべきかを把握し、どんどん考え、与えられた条件のもとに答えて行くということの繰り返しになります。が、まだ、目だけでこの問題は、一人いくつ貰えるか、といった数の分割という昨日解いた問題に似ている・・・と思いこんでしまうと、もう、耳は半分閉じていますから、ただ、数を数えるだけと言うサービス問題でも、過剰に時間がかかったあげく、焦って不正解ということになりかねません。合否の分かれ目は、入試問題と言うものは、その場で考えるということを肌で理解しているか、ということに大きく関わってくるのではないでしょうか。
先日の行いました新年長クラスの模擬試験も、試験範囲の発表は致しませんでしたし、これまでの模擬試験の全ては思考するということを主眼に作って来たのです。模擬試験が、すぐ最近授業で扱われたばかりのものばかりからの出題では、ともすれば、問題を目で見た瞬間に、耳で聴くということをしないで解くということを身に着けてしまう恐れがあるのです。もし、年長さんで、今、こうした傾向がある方は、あと7日間、毎日のように、「問題は新たな気持ちで聴きましょう。条件(この、条件という言葉を教室生は理解して下さっています。)をしっかりと聴いたり、見たりして、どのように解けば良いのか、どう答えを書き現わすのか、初めての気持ちで臨みましょう。」ということをお話し続けて下さい。なんとなく、この問題は、絵が沢山だから、数えるのではないかしら・・・のように、「なんとなく」解答するということを減らして行きましょう。「なんとなく○をつける」のではなく、「こういう理由で、絶対、これ!」と言うようにちゃんと根拠を持って、○をつけてほしいと思うのです。
そうした意味合いで、挙手発言も、ただ手を上げるということでは、もう年長さんはあまり好ましく無いと私は考えます。手を上げる、ということは尊いことです。でも、それは、勉強の場で、本当に自分が一生懸命に考えたことを発表する為であってほしいのです。手を上げてから考えるという習慣があれば、私の教室ではそれは直して参ります。勉強の時間というのは、人より目立つ為にあるのではありません。むしろ、しっかりと頭の中を動かすという作業こそが重要です。逆に申し上げれば、どんなに間違った答えでも、その子の考え方で解いたもの、その結果、正解ではないけれど、その子にとっては意味ある解答が導き出せた、という場合には、どんどん手を上げて、何度でも発言すべきであり、大いに認めてあげたいのです。そうしたお子さまは、よく伸びます。勉強を我がこととして捉えられていらっしゃるのですね。
また、私が教室の模擬試験でもう一点目指していることがあるのです。それは、「よく考えてみたら解った!」という感激の体験を重ねて頂くことです。願わくば、それが教室内での模擬試験の最中でしたら、なおさら理想なのですが、勿論、答案用紙ご返却の後でも全くかまいません。助け舟も極力お出しにならずに、見守って差し上げて下さい。そのうちに、「あ!解った!」という喜びのお声をお聴きになれば、もう、それだけで充分です。お子さまの、「解った!」という時に感じている誇らしさと高揚感は、「これからも、もっと考えてみまたい。」ということへの大きなエネルギーとなることでしょう。
見なれない問題に、臆することなく立ち向かえる勇気。それが、この1週間でごく僅かでも身に尽かれたら、本当に宝物のような思い出になるでしょう。
・・・お風邪が流行っています。皆さま、どうぞくれぐれもご自愛下さいませ。