子供の頃、私は妹と一緒にレコードの中から聴こえて来るシンデレラ、白雪姫、ピノキオ、そして眠れる森の美女に夢中になりました。単独のレコードであったのか、それとも絵本についていたのかは忘れましたが、レコードジャケットに小さく印刷されているいくつかのディズニー映画のワンシーンの絵だけでも、充分でした。私達は気品ある読み手の声や効果音、そして音楽に胸を躍らせ、何度でも繰り返してワクワクして聴いていたのです。ただ、私には、オーロラ姫に関して腑に落ちない点がありました。どうして、彼女の両親である王様とお妃さまはご自分のお城の中にある塔を打ち忘れていたのか。我が娘に、危険が迫っているのであれば、そんな盲点を残しているということ自体、大きな落ち度であると不思議に感じていたのです。そして、何よりもオーロラ姫自身が、17年間も上ったことが無い塔へと、ある日何故のぼっていかねばならなかったのか。レコードでは恐ろしいマリヒセントの声が響き渡ります。「オーロラ姫や・・・こっちへおいで・・・上がっておいで・・・。」この場面では、妹と私は手を取り合わずにはいられませんでした。そして、身を堅くして聴き入っていたのですが、最近、ふと、こうした「両親も及びも知れない塔に上っていく」ことこそが子供の成長過程であるのではと感じることがあったのでした。

子供が成長すると、ある時を境に、親が思うように、思う順路でなど、子供は歩いて行かなくなります。息子もマニラに立ちましてから、半年が過ぎました。先日は一人でベトナムの首都ハノイに旅に出掛け、10日間滞在し、大変楽しかったと話しておりました。世界遺産のハロン湾のクルーズにも出掛け、感動しておりました。アジアへの留学は、母としては考えた事は無かったのですが、この半年間は息子の大学生活の中のどの時間よりも遥かに息子を変え、成長させてくれたように感じております。アジアの様々な生活を目にし、そこで学生生活をさせて頂き、日常のタガログ語も不自由無く話せるようになり、英語の発音も驚くほど変わりました。また、留学生の友との生活で、一人っ子の息子にはまた得るものも多かったのも感じております。中学生の時に、先輩の外交官の方のお話を伺って以来、憧れ、目指して来たお仕事でしたが、この一年間を終えた時、どのような道を選ぶのでしょう。母はもう見守るだけになりました。

オーロラ姫は、「あなたは17歳になったら危ない目に合うかも知れないから、気をつけなさいね。」と注意されていたのでしょうか。もし、されていたとしても、彼女の好奇心や、何より塔の上から招く「運命」の呼び声は、そのような「常識的注意」を排除していたのではないでしょうか。親として、思いつく限りの危険を排除した・・・国中の糸車を残らず燃やしてしまった・・・と思えても、いつか、子供は思いもしなかった、親の盲点にあった塔を駆けあがっていく時がくるのでしょう。
明後日帰ってくる息子のことを考えておりましたら、ふと、このようなお話が浮かんで参りました[E:happy01]