あたりに夕闇が迫り、もう遊んでいる子ども達の声も途絶え、暗く染まりつつある空の雲の亀裂に、微かにオレンジ色の楽しかった一日の輝きの名残が宿る。そんな時に、あんなに今までは明るかったのに、もうこれからは暗い夜が始まるのだと嘆くのは子供で、門灯を灯し、家の中も明るくし、カーテンを閉めて美味しい夕餉の支度を整えて待つのは、母親であると、ふと思いました。少し前に、もうお姉様であるという自覚をお子さまが持つことに触れさせて頂きましたが、私達大人も、時々、「もう、私は大人なんだわ。」ということを自分に言い聞かせなくてはならない時があります。
成人式があっても、私達は子供の頃から今日まで、ずっと繋がっているのですもの、一体、いつ大人になったのかはっきりと線引きしにくいのではないでしょうか。
本当はかくれんぼで、なかなか鬼の役を交代して貰えずに、最後の一人がどうしても見つからずに、疲れて無力感に打ちのめされて、その場に座って泣いてしまったあの頃のように出来たら楽なのに・・・と思うことが大人の日々にもまれにはありますよね。
でも、大人は子供の前では、やせ我慢が必要だと思うのです。
もし仮に、子供たちの前で、涙を見せるようなことがあったら…子供達が実は天使達であることが証明される出来事が起こり、あなたは感動されるはずです。

それでも、私達大人の役割、それはいつも子供達の前で、笑顔でいてあげることではないでしょうか。

羽無き天使たちは、天使であるがゆえに、お母さまの涙に想像以上に傷つき、悲しみます。逆にお母さまが笑って楽しそうにしていると、まるで春爛漫の花園の中に置かれたように幸福感で一杯になってしまうのです。母親でなければ、溶けない心の帳がある。本当に、お母様とご一緒の時にはどんなに大人になっても私たちも感じる大きな大きな安心感。

夕暮れ時に、必ず、子ども達が真っ直ぐに辿りつき、安堵する居心地の良い居場所。それを創りだすのは私達が大人にならなければ、大変難しいことなのかも知れません。