NHKの「キャンパス」は、各大学の学生が毎回自分達で取材し、キャスターも務める国際情報番組です。同じ年頃の子供を持つ身としましても、大変興味深いです。1月27日(木)放送は、横浜国立大学でした。その中で、映画監督アーヴィン・チェン氏(「台北の朝、僕は恋をする」でベルリン国際映画最優秀アジア映画賞を受賞。台湾出身の両親を持ち、アメリカに育つ。現在は台湾を拠点に活躍)に対するインタビューがあり、学生が「自分は台北の真の姿を知らないが、監督は台北の真の姿をどのようにして描かれたのですか。」というようなことを聞いたのに対し、「街の真の姿というものはあるのだろうか。私は自分が感じた台北を描いただけです。自分が面白いと思った部分、ここが台北らしいと感じた部分を描いたので、他の人から見たら意外な、些細な部分が映っているのかも知れません。」と答えられたのでした。それは、まさに、全てのものを表現することに関わる者の基本姿勢の言葉であると思いました。

何かを表現する時に、一般的に使い古された「真の姿」を追おうとした時点で、もうそこに表現者の価値を失っているのではないかと思います。例えば「東京」というテーマで、5分間のビデオを取るという課題が与えられたとしたら、どうでしょうか。東京タワーがシンボリックな役割を今でも担っているのかは別にして、メディアの映像をなんとなく継ぎ合わせたかのような映像が出来てしまうのは否めないと思うのです。

私は、子供たちに、優れた作文を書ける小学生になって欲しい以前に、使い古された表現に同調する小学生にはなって欲しくないのです。感動しなかったお話を読んだ後の読後感想文も本当は書いて欲しくないのです。私は、自分で書きながら、腑に落ちない思いでいたことを思い出します。子供達は、自分でも知っているのではないでしょうか。こうした、一番自分の意見を自分の胸に問いかけるべき時間が、むなしい、作り文の作業の時になってしまっている矛盾を。

さて、このことは、幼い子供たちを育てて行く上でも、考えるべきことなのではないでしょうか。使い古された「真の子供の姿」を追い求める時点で、教育として求めるべきものが、曖昧になり、薄れて行くのではないでしょうか。子どもらしい子供とは、誰が決めたのでしょう。あいまいな郷愁に傾いた意見や、出所の不明な理想的子供像に同調しない限り、私達大人は、その子供一人一人が持っている素敵な個性をもっともっと目を凝らして見つめるべきではないのでしょうか。どのお子さまも、その持ち味がやがて素晴らしいその人の個性となっていくのを感じます。また、そのお子さまが取った何かの行動を、常にプラスに捉えてあげることも重要で、例えば新しい教室のメンバーのお友達になんとなく興味を持って近づいてきたお子様には、「あら、お友達に何かお手伝いしてあげたくて、来てくれたのね。では、~してあげてね。」などと言葉がけを繰り返すことにより、そのお子さまの、人に対する興味が良い方向に成長していけると思うのです。人間の「真の姿」というものもまた、捉える側の視点と、捉え方自体で、どのようにも変わっていくでしょう。教育者が、「自分がどう感じるか」という独自の視点を持ち、そのお子さまの素敵さを沢山発見し、育んでいくことは、なんだか台北の素敵さを感じ、描いたアーヴィン・チェン氏のお仕事にも共通しているものを感じます。こうあるべき、こうなのだろう・・・という価値観に基づいた「真の姿」を押しつけられ、一番傷つくのは子供たちなのです。私も彼のように、そのお子さまの素敵さを集めた映画ならぬ、そのお子さま自信が納得をしてご自分で育てていけるそのお子さまの個性の苗木を、お別れの日が来る時までに手渡してあげたいと真剣に思っております。

「台北の朝、僕は恋をする」は3月から公開になるそうです。