今日、コメントでお約束した『賢者のおくりもの』 <文 オー・ヘンリー 画 リスベート・ツェルガー 訳 矢川澄子 冨山房 > を伊勢佐木町の有隣堂にて購入しました。書店で、パラパラと捲って見ただけで、只ならぬものを感じておりました。家に帰って、マリアージュ・フレールのそれは素敵な「マルコポーロ」の香りを楽しみながら、ゆっくりと読ませて頂きました。素晴らしい時間を、お母さま、ありがとうございました!

オー・ヘンリーの洒脱な語り口や、物語の運び、そして昔語りのような淡き情感溢れる画にも強く魅かれるのですが、なんと申しましても、矢川澄子さんのこの素敵な訳!今更かもしれませんが、矢川澄子さんという方のとてつも無い言葉の選び方の天才ぶりに、釘づけになってしまいました。若い夫婦の(夫は22才として描かれております)まだ、「恋人」としての要素が強い二人の関係(実際、夫のジムは妻のデラを恋人と呼んでいますし)を、淑やかな表現ながら、本当に魅力的に、大変印象的に訳しあげていらっしゃるのです。『賢者のおくりもの』のあらすじ自体は、実に多く引用もされておりますが、そのお話にこんなにも臨場感を与え、登場人物を生身の生きた男と女として描けている訳には、初めて出会いました。

矢川澄子さんは、以前にご紹介させて頂きましたアリスン・アトリーの「むぎばたけ」を訳された方です。こちらの絵本と同様に、彼女の訳は、最初から最後まで、実に心地良いテンポ、リズムを保ち、こうなると、また英語で読むのとは全く異なった、一種の矢川澄子さん独自の作品と言っても良い、完成度を見る思いが致します。

彼女の訳された御本は、圧倒的な数に上りますが、『ハイジ』、『ぞうのババール』にも見られる香気が、この絵本にも色濃く出ています。よく授業で使う、『まっくろネリノ』も彼女の訳で、児童書の訳の多い中、夫の作品として世に出ている、ある作品の大半を彼女が訳しており、それについて、彼女が喜んでいたことを鑑みても、既に彼女自身が『賢者のおくりもの』のデラの部分を持ち合わせていたということも偲ばれるのです。

矢川澄子さんを、ここまで意識したことはこれまでありませんでした。真に女性としての部分を持っていた可愛い方であったのではと想像します。そして、恋するということに正直な方であったからこそ、この『賢者のおくりもの』の訳があるのは、間違いないと存じます。

リスベート・ツェルガーの画の中で、デラが鏡の前で、長い美しい髪を振りほどいて眺めているものがありますが、まるで人魚姫のようだと感じました。そう言えば、人魚姫は恋の為に魔女のもとに出向き、声を失いました。これから、かつら屋のマダムに会いにいく為の意を決したデラを、もしかしたらリスベート・ツェルガーは人魚姫と重ねていたのかもしれないとふと思いました。