「サンタクロースっているんでしょうか?」中村妙子 訳 偕成社
この本は、このタイトル通りの疑問を持ったアメリカの8歳の少女が、ニューヨーク・サン新聞社に手紙を出し、それに同社の記者が社説で答えた文章を訳したものです。
同じような本がいくつか出ています。でも、この本はそれらと一線を画す、素晴らしいもので、子供達には勿論、我々大人には、何よりも<子供の持つ疑問に対しての答え方>を示唆してくれる教育書と言っても良いかもしれません。子供達とどのように向き合うべきか。
「・・・この手紙の差出人が、こんなに大切な質問をするほど、私たちを信頼して下さったことを、記者一同、たいへんうれしく思っております。」
書き出しの始めから、私達大人が子供達と対峙する時の理想的な姿勢に、感銘を受けます。そうなんです。子供は、全幅の信頼を置き、私たちに問いかけてくるのです。わざわざそのように言わなくても、大人でも難しいと思うような複雑なことを尋ねられたら、心の中で「私に尋ねてくれて、ありがとう。」という気持ちを持つことは、大事なことであると思うのです。
いつか、書かせて頂きましたが、「聖なる」ということについて、お子さまが質問されたことを、お母様が「T先生に聞いてみましょうね。」と、私にお尋ねになられました。
私のようなものが、やすやすと答え得るものでは無いような、本当に膨大な知恵と知識、そして深い考えが必要なご質問でした。でも、私は教室でそのお子さまに、自分が考える「聖なる」ことについて、自分の幼稚園のクリスマスの礼拝について彼女にお話させて頂きました。乏しい考えではありますが、彼女には、私が、難しい事に対してどのように考えるのか、ということは、おぼろげにでも伝えられた筈です。
私は、彼女に対して、そのような疑問を持ったことに敬意を抱き、お話させて頂いたのでした。今後、彼女の心には常にその疑問が在るでしょう。そして、答えを求めながら生きて行かれ、成長して行かれる筈です。大事なのは、その疑問が、いかに重要な、考えるに値する価値のあるものであるのか、子供達にキチンと伝えることです。その疑問に対する大人達の扱いを子供達はちゃんと見て、感じ取っているのです。
さて、この本の中に貫かれていることは、<見えなくても、人間の頭で理解出来なくても、確かに存在するものはある。>ということではないでしょうか。
「・・・けれども、人間が頭で考えられることなんて、大人の場合でも、子供の場合でも、もともとたいそう限られているものなんですよ。」
「サンタクロースを見た人はいません。けれども、それは、サンタクロースがいないという証明にはならないのです。」
ここに書かれていることを、もし、真に心に抱いて子供達がそれぞれ興味ある物事を見つめ、考え、思い、調べ、探求していくならば、いつかは真理に辿りつけるかもしれないと私は考えます。どのような学問の入口にも、ここに書かれていることが、必ずや道案内の標識のごとく、掲げられている筈だと思うのです。
私は、6歳の時に、なんと、信じがたいのですが、子供用のテレビ番組で、博士風の出演者に「サンタは実は君たちのお父さんやお母さんなんじゃよ。」という言葉を聞かされてしまったのです。私が、「え~そうだったの?」と後ろを振り返ると、息をのんでいた様子の母が、ちょっとがっかりとしたような笑みを浮かべて「あら、言われてしまったわね!」と言った様子をよく覚えています。その時に、母がこの本に書いてあることを私に言ったとしても、もう私が思い描いていたサンタクロースを取り戻すには遅かったでしょう。そのテレビ番組は、一瞬にして、幼い心の中からサンタクロースの姿を消してしまったのでした。
しかしながら、この本は、そうした、小さな子供が心に抱くサンタクロースの姿を、いつまでも信じるように解いている本では無いと思うのです。例えば小学校などで、お友達に同じようなことを聞かされて、夢破れて帰って来たお子さまにも、必ず読み聞かせて頂きたい本なのです。この本が教えているのは、「あなたが幼いころから信じて来た姿のサンタクロースがいつかあなたの心から消え去っても、あなたには、やはり、確かにサンタクロースはいるのだと理解出来るでしょう。そのような目で、すべての物事を見つめ、考えられるような大人になってほしいのです。」ということだと思うのです。
目に見え、肌で触れなくても、存在する確かなこと。
実は、そうしたものの方がこの世界には多く、我々が掌握していると思い込んでいる物事など、本当に表面的な世界であると子供達に伝えるのに、本当に素晴らしい、考え方の入門書であると私は思います。
最後になりましたが、この本の訳者が、あの素晴らしい「びりっかすの子ねこ」の訳者でもあることも、嬉しいことです。