昨日のブログの、舞踊と「くうき」について加筆させて頂こうと思います。

彼女が語って下さったのはこのようなことでした。

「私は、踊り手の動きそのものよりも、その人が例えばサッと差し出した手の動きによって、そこにある空気の動きがきれいかどうかがとても気になるのです。例えば、ある動きによって、空気はめちゃめちゃに汚い形に裂かれてしまうような気がすることもありますし、スッときれいな形に残ることもある。以前から、私は「くうき」の動きがとても気になっていました。そして、バレエでは「くうき」がきれいではないと感じていましたが、先日見た踊り手の動きは、始めてその周りの空気の動きを美しいと感じました。「くうき」を巻き込んで踊っているという風に。」

まだまだ、本当に興味深いお話は続きましたが、私は伊東豊雄さんの建築物を拝見した時に、まさしくこの「くうき」の動きを連想したのでした。

「風」は空間の中を移動していきます。その時に圧倒的な太い樹の幹のような柱が真ん中に一本立っている建物と、細い金属の柱が林立する建物、そして何も柱が無い?(ありえるのでしょうか)建物では、「風」の流れは異なります。建物は楽器ではありませんが、楽器であれば、それぞれが異なった音や音楽を奏でるのでしょう。
美しい建築物に吹く風は、美しい風の音楽を奏でているように思えます。その音楽は、実際には室内が密封されていても感じ取られるのではないでしょうか。もしかしたら、人の動きにより起こされる「くうき」の流れなども、この「風」の範疇に入れても良いのかもしれません。建築物にとって、人は欠かせないオブジェのようなものかもしれません。伊東豊雄さんの<仙台メディアテーク>をいつか実際に訪ねて、それを確かめてみたいと思いました。
そもそも、それぞれの建築物が形状を伴って存在すること自体、そこに、それぞれの建物によって出来た形状の空気が存在するのですから。建物自体は踊りませんが、その形状や質感、色等(もっともっとたくさんの要素があるのでしょう。)で、空間の中でのリズムを形成していると私は考えるのです。

彼女とお話してから、「くうき」についてなんとなくいつも考えている私です。例えば、海の中の水の中で生きる魚は、水を感じて生きてはいないのかも知れない。逆に、我々地上に住む者に、「よく空気の中で生きているなあ。」と思うのかもしれない。とか、彼女の言った「くうき」がゼリーのようなもので出来ていたら、尚、実感出来ることなのかも知れない。・・・とか。そんなことを考えて、電車に乗っている私です・・・。

今日はこれから、新年中さんのご指導があります。季節の導入に絵本を使うのですが、昨日も大喜びして頂き、それは楽しくご指導させて頂きました。季節、今年も出ましたね!楽しく「季節」に対して興味を持って頂けるか・・・。それが、本日の自分に課したミッションです[E:flair]