眠れぬ夜、第4夜・・・。こうなると、「眠れぬ夜の美女連」も、違った風貌の集団に・・・?いえいえ、キチンと眠って下さいね[E:happy01]最後の最後まで、お嬢さまのお試験のサポートを宜しくお願い致します。などと、かく言う私も、最後の最後までやはり眠れず。
皆様が、メールで各校のお試験の会場で、六本木のクラスの方にお会いして心強かったです、とか、Tファミリーに出会って、安心しましたなどとお書き下さって、本当に良かったと存じております。チョコリットの生徒さん達は、本当に、ライバルなどでは無いのだとつくづく感じます。私は神様のご計画というものはあるのだと思うのです。その人が、生きる上で、神様から与えられたものを見つける為の道。その道が見えた瞬間に、人によってはその道を歩み始めた時に、・・・タイミングはその方によって異なりますが、必ず、『この道が与えられたのは、こういうことだったのだ!』と、感じられる時が来るのではないでしょうか。
かく言う私は、全ての学校を終えて、今になって、やはり用意されていた道であったことを感じ始めているのですから、遅すぎですけれども。
前々回のお話の続きを少々。ほどなくして、母との別れがあった当時、正愛寺の和尚様のお話が、胸に染みました。「苦」という字は中国に入る前、インドでは「2つに分ける」という意味の語源を持っていたそうなのです。ここからは私の浅知恵ですが、何かを切に願って、その願いが叶えば、願いとの分離が無いのだから確かに苦しく無いですね。逆の場合は、願った状態から分けられるから苦しい、と言えるのではと考えるのです。しかし、願った状態から分離された時点で、我々は必ずなんらかの状態とはパズルのように合致させられるのではないでしょうか。その状態が、その人の人生に与えられた使命を知る為に、あらかじめ用意されていたもの、と考えると、大変実り多いものに変わっていくのではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。分けられたということにばかり目を向けられるのでは無く、今、偶然ドッキングさせられている状態に向き合うことが、苦しみからの解放の一番良い手段になるのかも知れないと考えております。
また、午前3時15分を廻りました。さあ、休みましょうね!灯りを消して、目を閉じたら、眠れるかもしれませんよ。静かな音楽が流れていても、よいでしょうね。