最近身の周りに良い兆しを見つけられた何人かのお母さまがメールを下さいました。素敵なことだと思います。きっとそれは確かにお母様へのメッセージなのではないでしょうか。そうしたメールが重なること自体、暗示的ですよね。

良き訪れを知らせるお使い。それは、確かにそうしたものも在るのだと考えます。それが、天使様の形をしていなくても、「暗示」とは、また「兆し」とは以前にも書かせて頂きましたが、もしかすると大切な恩師の先生がお訳しになられた本の中にあった、この世の中に張り巡らされた我々には計り知れない「調和」が存在するということにも繋がることであると考えるのです。用意されている、与えられている「運命」と呼んでよいか解りませんが、その張り巡らされた糸が、キラッと一瞬輝いてその存在を垣間見せてくれる、それが「暗示」や「兆し」を人が感じ取るということなのかも知れません。
そう言えば、私が結婚したすぐ後、私の部屋の窓のすぐそばに、ハトが卵を産んで抱いていたと聞きました。母はやはりとても幸せを暗示することと捉えていたようです。詩の技法で「隠喩」というものがありますが、私には大変興味深いことのひとつです。隠喩は人が勝手に分けた全ての秩序の線引きをあっという間に消し去る魅力を持っています。私がプルーストに魅かれる理由の一つです。ハトが卵を抱くことと、その家の娘の身に起こった結婚ということが、どうして、関係あるのか、と言われるのであれば、どうして、関係が無いと言い切れるのでしょうか。この人生の中で、確かに暗示的なことは数多く起こって来ました。また、人は心が敏感になっている時、特にそうしたものを感じ取れるとも言えると思います。

うまやでイエスさまがお生まれになった時、星が瞬いているのを見て、3人の占星術の学者がその誕生を知るということも、「兆し」の最たるものであると思うのです。聖書ではよく「しるし」という言葉も使われていますね。

どうぞ、お母様方が感じ取られた嬉しい「兆し」を、大切に心の中にしまっておいて下さい。きっと、それは本当にお母さまに何かを知らせているのではないでしょうか。

六本木クラスはご卒業されても、いつまでも私は皆さま全員のことが心の中から離れません。1回生、2回生と、大切な出会いがどんどん増えて、幸せに存じます。今も皆様お1人お1人に語りかける気持ちで書いております。けっして、お1人ではありません。微力ながら、いつも思っております。・・・なんて、ラブレターのようですね[E:happy01]