ある日のことです。「遅くなりました!皆さま、お待たせ致しました!」手を洗いに行って教室に一番最後に戻ったお友達がクラスの皆様にご挨拶しました。別に、彼女が遅かったのではなく、一番最後に手を洗ったというだけのことなのでしたが、そのキチンとしたご挨拶に、私は「まあ!そのようにご挨拶が出来たら、本当に皆さんも気持ちが良いですね。あなたはキチンとご挨拶ができるのね。」と感嘆の声をあげたのでした。
さて、それから・・・。どのお子さまも、一番最後に教室に戻られる方が、同じように「皆さま、お待たせしました!」とご挨拶するようになったのです。私は、こうしたことが真の学びあいなのだと心の中で称賛を送りつつも、「そうね、そうご挨拶出来たら本当に素敵よ。」と言うに留めているのです。彼女達の無意識に学びとり、向上していく力をそっとしておきたいからです。もし、また大いに褒めてしまったら、褒められるために何かをまねしようと、意識のレベルが随分違ってきてしまうでしょう。
ペーパーにおいても、ご自分がまだ考えている最中に「出来ました。」と言うお友達が周りに続出していくうちに、「ああ、自分ももっと早く解りたい!」という意識が育っていくのです。そうしたことが良い刺激となり、夏期講習で随分伸びたお子さまも実際に目の当たりに致しました。
行動観察における制作も同じことが言えます。お友達の作品に比べて、自分の作品はどうしてすぐに糊がとれてしまうのだろうか。それに、なんだか曲っているみたい・・・。それに気がついた時、そして、お友達のまっすぐな作品をいいなと思った時、そのお子さまの成長は始っているのです。
小学校の4年生の時に、私も素敵な人、と憧れた同級生がいました。と言いましても、名前も知らないよそのクラスの女の子でしたが、朝礼などで並ぶと、その子はいつも両足をキチンと揃えて立ち、真っ白な靴下の高さも左右に線を引いたようにまっすぐで、アイロンの利いたブラウスがスカートにキチンと入っているか、髪は乱れていないか、等、とにかく気を配っている様子がわかり、私も彼女を見て居住まいを正すような感じでした。
お友達を見て、「あ、いいな、素敵だな・・・!」と思うことが成長していく背中を押してくれるように思います。
そして、六本木クラスの学び合いを可能としているのは、何よりも六本木クラスのお友達同士、そしてお母さま同士が信頼し合い、認め合っているからであるとも思うのです。