もうだいぶ前になります。育児書に、「その子がどんな人になるのかは、どれだけ親が蓋をしたか、ということで決まる。」という一文がありました。それを読んだ私は違和感を覚えました。「蓋をするのではなく、どれだけ沢山蓋を開けてあげたのかで決まるのではないのかしら?」と思ったのです。でも、今、よくわかるのです。親は蓋を開けてあげることは出来ない。親が開けた蓋はいずれは自然に閉まってしまうこともあるし、それよりも親は、我が子の沢山開かれた蓋を閉じ得る可能性を多く秘めた存在なのだと。

出来るだけ沢山の経験をさせてあげ、美しいものに出来るだけ触れさせ、この世の中の素晴らしさを伝えてあげたい・・・それが、最善の使命のように思っていたのです。でも、この「~させてあげる」ことには、多くの問題が含まれていたのです。

親の興味は確かに子供に反映していくでしょう。例えば我が家はクラシック好きでありジャズ好きでもあるので、息子も自然に音楽は自分の生活に取り入れています。そうして、自然に与えてあげられたものは、逆に深く本質にまで根付いていくのかもしれません。そのようにして、親が本当に興味を持っているものは子も興味を持ちやすいと思うのですが、親と子はまったく違う、別個の人格であるがゆえに、親はあまり自分の趣味を押しつけるのではなく、何よりもその子がどんなものに興味を示すのかをよく見つめ、判断してあげる必要があると思うのです。

親が、思ってもみなかった道が、子供の前には開かれているということを想像してみて下さい。お花で彩られた平坦な、しかし自然に傾斜が出来ていて、着実にその道をたどっていけば将来は高みへと登っていくであろう道だけしか、いつの間にか見えなくなっていた私でした。でも、わが子やわが子の周りのお友達を見ていても、実に様々な道をそれぞれが選んで歩んでいる・・・そのほとんどどれもが親の望んだ道とはかけ離れていると言っても良いように思います。

私は、幼児教室を持たせて頂くにあたり、・・・いえ、もうずっと前から、わが子に、こうしてあげれば良かったという思いをクラスの中で実践して参りました。当時から言い続けていたことは、「何をしてあげればよかったのか、それは、してあげなければ良かったということです。」ということだったのです。

全てに手と口を出す教育はその子から自分で歩もうとする力も気力も奪ってしまうでしょう。考えている最中にもヒントを与え続けているのでは、考えるということすら奪ってしまうことになりかねません。

我が家での母子分離は、むりやり息子が順調に(と思えていた)道を飛び出し、自分で暗闇の中からちゃんと道を探し当て、確かな歩みを始めることで終えました。

小学校入試の受験準備は、まさに、我が子が確かに自分の道を探し当て、1人で歩んでいける為の心を育てる準備となり、また、親子の在り方の準備にもなりえる経験だと思うのです。「ご自分で、出来ますか?」・・・それが、入試で問われているもののひとつであり、また、「親御さんが蓋をしていませんか?」ということが、昆虫や車の常識問題にも表れて来るのだと思うのです。女の子だから…という理由で蓋をして、興味を狭めていないだろうか・・・もういちど、振り返ってみましたら、案外今出来ていない部分がそんな理由のところにあったりするのかもしれません。数、図形も、です。

小学校受験はそうしたことをお子さまの人生の早い段階でチェック出来る得難いチャンスです。どうぞ、親子で果敢に、微笑みとともに、勇気を持って、この夏をお過ごしくださいませ。・・・お母さま方から沢山のメールを頂き、悩みを共有させて頂いております。是非、良く考える、解ける、お母様の笑顔、という図式を目指して下さい。お子さまは、我々よりも人生経験がまったく浅い中でよく頑張っていらっしゃるのです。当然解る問題と大人が考えても、経験の無さから難しくなってしまうことも多くあるのです。

先日、東横線の中で演習クラスの問題を眺めておりましたら、おとなりに九段の名門小のお子さまがおられ、気がつくと、一生懸命横から問題を考えていらっしゃるのが解り、本当にほほえましく存じました。・・・習慣などでは無く、本当に考えることがお好きなご様子でした。

夏期講習、楽しい教材をご用意しておりますよ!ご一緒に楽しいご準備を致しましょう。
月曜日も必修の制作があります。お嬢さま、お母様のお元気なお顔を楽しみにお待ち致しております。