六本木クラスのペーパー演習クラスにお集まり頂きました皆さま、本当にお暑い中、お疲れさまでございました。これまでマジックボックスなど、ひとつのテーマに絞ってまいりましたが、今日は広くミッション系小の過去問に即した項目を扱いました。本日得点できなかったところを夏期講習で出来るようにしてしまいましょう。そして、本日訓練すれば出来るようになると申しあげました訓練も本気で行わせて頂きます。明るく楽しく頑張りましょうね!(何だか清く正しく美しくに語呂が似ているような・・・。)

お話が逸れますが、宝塚には15年ほど前に親戚が娘役で出ておりましたので、よく幼い息子の手を引いて有楽町迄参りました。その頃の演出で音楽を視覚化するという点だけで見ても、忘れられない程素晴らしいモーツアルトのレクイエム第三曲<怒りの日>を主人公の苦悩に重ねたシーンがありました。混声合唱の掛け合いのところで、左右からはだしで祈りをささげながら交錯して走るダンスの素晴らしさは今でも目に焼き付いております。

そういえば、モーツアルトの音楽が本当に受験生のやる気をひき出してくれることをほぼ実体験で信じておりまして、息子が受験生の時には朝からモーツアルト、昼にもモーツアルト、そして夜も・・・で、息子に「飽きたから止めて。」と言われる程でしたが、興味のある方には、お話致しますよ(笑)。・・・音楽の効能って、やはり少なからずあるのではと思うのです。

クラッシックを聴いた野菜が美味しくなるのも嘘ではないと思います。野菜には耳は確かに無いですが、音楽を聴くのは耳という器官だけかと言えばそうではないと思うのです。皮膚で、あるいは茎で、葉っぱで確かに音楽を受け止めているのではないのでしょうか。心地良い目に見えない音楽の波の揺らぎを耳ではない何かで感じ、野菜たちも「良い気分」になっているのかも知れません。

ところで、モーツアルトのレクイエム<怒りの日>を聴いていると、もうそれだけで胸が熱くなって来るのです。聴いているうちに、例えば「怒り」等のネガティブな感情を持った人間は本人こそ辛いものなのですが、案外、怒っても、悲しんでも、苦しんでも人間は素晴らしいのだという思いがわき上がって来て、「ああ・・・なんだか、許してもらえた、ポジティブな感情だけで暮らしていなくても、それは人間なのだからあたりまえなのだ・・・。良かった・・・!」といった気持ちにさせられるのです。同じように「人間の苦しみ」を肯定してもらえるのがジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの<スターバト・マーテル>の2重唱「悲しみに沈める聖母は涙にむせびて」で、これは家にあるCDジャケット(ラファエロ画キリストの埋葬)のマリアの苦悩の顔が、本当に死んでしまいそうなほど悩ましげで、「母になるとはかくも苦しい場面があるものなのだ。」などと勝手に解釈して、たまにジャケットの絵を思い出したりもしているのです。

「悲しい本」(マイケル・ローゼン作 谷川俊太郎訳)という絵本があります。息子を亡くした父親が悲しみにくれる異色の絵本です。私は想像だにしたく無いお話のこの絵本に例の古本屋さんで出会いました。そして、必ず売れずに残っているこの本を毎週1回は手に取り眺めるということを繰り返し、また恐ろしくなって棚に戻すということが続いているのです。
(ちなみに、私はなかなか良い客?で、立ち読みばかりでは無いですのでご安心を(笑))
そして、どうして、悲しんではいけない?悲しむことは悪いこと?悲しみに浸って生きるのは意味の無い生き方か・・・と、ある日少しだけそんな考えが私の中にも浸透して来たのでした。人生は明るく生きるのが責任なのか。・・・もしかしたら、悲しむ権利を認められることで、人は随分楽になるのではないか。人は、悲しみつつ、さらに重ねて『悲しむことへの罪悪感」にさいなまされているのではないだろうか・・・。そんなことを考えさせられて明後日ももしあったら、またあの本を手にする私なのでしょう(笑)。

何が教育で必要と言って、自分の心の中の叫びを、辛さや悲しさや怒りや、また喜びまでも、自由に発露出来るようにしてあげられることが本当に必要なことなのではないのでしょうか。思ったことを言って、お友達がそれを聴いてくれるような人間に育ててあげたい。そう思っております。幼いころからネガティブな思いを持つ度に自分自身で傷つき、罪悪感で苦しんでいるお子さまが存在します。明るく日の当たるようなところだけに心を置く生き方は、真に生きていないとすら言えるでしょう。それよりも、自分の心に起こった感情をしっかりと受け止められる強さが、本当に必要なのではと考えます。そして、それを肯定してあげられるのはお母さましかいないのではないでしょうか。

音楽が、心に溜まったよどみを清流へと変えて行くきっかけを作ってくれるかもしれません。音楽を必要としていなくても、先日も国立音楽院で、ジャズのセッションのピアノとベースの音が私の教室の廊下の向こうの方から聞こえて来て、授業の合間に思わず立ちつくして聴いてしまいました。そんな自分に、「もしかしたら気がつかない間に音楽に飢えていたのかも知れないわ・・・。」と、ふと思いました。・・・ジャズ、上手くなりたいです・・・!即興でセッションなんて、なんて素敵なことでしょうか。.