今日、年少さんのお母様からのメールで涙が出るほど可愛くて可笑しいお話を伺いました。某小学校のオープンスクールで、着ぐるみが怖くてなかなか中に入ることが出来なかったそうなのです。そうした、日々の小さなお子さまとご家族に起こる出来事は、どんなご様子だったのか思い浮かべられるだけに、本当に楽しくなります。

でも、解るのです。そのお子さまの気持ち。着ぐるみも怖いですし、私は小さな頃は操り人形も怖かったのです。生きていないのに、生きているかのように動き、その周りでひっきりなしに動く線やひもにも不快感を持ちました。異質なものへの落ち着かない気持ち・・・。それは、この世に生まれい出て、数年をかけて獲得した生き物への認識から外れる存在であり、もしかしたら決まりを愛する「調和感」という感受性をも刺激するものであったのかも知れません。プルーストの『失われた時を求めて』の冒頭部分で、子供の「私」が寝ている部屋のランプに大人達が幻燈をしかけてくれた為に、光と影がいつもと違う風景を部屋の壁に作り出すのに不安を覚えるくだりがあるのですが、子どもと言うのは、まさにそうした感性を持っているのですね。ちょっとだけ抜き書きしてみます・・・。

<しかし、そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった。なぜなら、照明の変化だけで、わが身につけている自分の部屋の習慣が壊されたからであり・・・今はもう自分の部屋がよそよそしく、そこにいても不安になって来た。>

そして、「私」はきれいな映写の光に魅力を感じつつも、

<いつのまにか私の自我で満たしきって、自我そのものに対すると同じ様にもはや注意を払わなくなった部屋への、そんな神秘と美との侵入は、いうにいえないあるいやな気持ちを私に起こさせた。習慣と言うものの麻酔力が利かなくなると、私はあれこれのものを非常に陰気に考えたり、感じたりし始めるのであった。>(筑摩世界文学大系 井上究一郎訳)

着ぐるみがこわい・・・ということ自体、とても可愛いと大人は考えるのですが、案外鋭い感受性の本人にしてみますと、本気でこわいのだと思います。・・・でも、やっぱり本当に可愛いです・・・。気楽にそんなことを言ってしまう大人の私をどうか許して下さいね!