5歳迄、私は一人っ子でした。家の中ではまるで王女のごとく大事にされ、そして母と祖母は私の愛情をめぐって火花を散らすありさまでした。ある日、母と祖母の真ん中で手を両方に引かれて歩いていましたら、向こうから車が来たのです。そのとたん、私は母と祖母の両方から引っ張られ、危うく車にひかれるところでした。そんなところに、ある日妹はやって来たのでした。私は自分が大事に扱われない筈はないと信じていました。ところが、幼稚園の年長さんのその日、母も祖母もだれもお迎えに来てくれなかったのです。私は一瞬うろたえましたが、すぐに覚悟は決まりました。『1人で家に帰って家の人を驚かせよう』と考えたのです。幼いながら、その時沢山の考えがよぎったのは今でも覚えております。自分にとって、それ程大きな出来事だったのです。もし、私が一人で帰ったら、母も祖母もどんなに可哀想なことをしてしまったと自身を責めるのだろうか、と考えました。そして、幼稚園児にしたら大冒険の、車が行き来する道路を本当にたった一人で渡ったのかと聞き、危ない目に合わせてしまったと再度自身を責め、そしてみごとにその危ない道から傷一つ作らずに帰って来た私の無事を喜び合うという場面を想定していたのです。私は家に近づくにつれ、ドキドキして来ました。あと少しで、称賛とねぎらいの言葉で迎えられると思いながら家のドアを開いたのでした。母も、祖母も家の玄関で妹の何らかの世話をしていました。・・・何らかというのは、全くそれに関しては覚えていず、実際当時の自分にとっては重要なことではありませんでした。そして、振り向いた母と祖母は、顔を見合わせて、「あらあ、帰って来てしまったわ。」と言ったのです。すごく当然なことを私がしたように、それ程驚いた風でも無く。

私は、その時私の中で今までの何かが終わったと思いました。ずっと続いて来た何かが終わって、でも、今新たに何かが始まった、とおぼろげに感じました。

一人旅していて、ホテルから最初に外に向かって踏み出す一歩は、あの日から始まった一歩によく似ている、と思います。子供時代には、毎日が何らかの形で将来に繋がる転機やきっかけに満ちているのだと思います。「あなたは、何でも早くこなせるのね。」と言われたら、それが何でも要領よくこなしていける器用な大人になるきっかけにもなり得るのです。「丁寧に出来るのね。」と言われたら、もっと何でも丁寧にしてみようと努力し、物腰まで丁寧な素敵な人になっていくのかもしれません。でも、一番に子供自身が変わるきっかけは、自分の意志で何かをしよう、と決めた瞬間にあるのではないでしょうか。
出来なかった逆上がりを、親に言われたからではなく、自分で出来るようになりたいと練習し続けて出来るようになったお子さまがいました。その経験は、必ず次に繋がっていくのだと思っているのです。

遅まきながら、5年遅れてやってきた妹にお客様はおみやげの色味について「はい、あなたは妹さんだからピンクね。」と言い、「あなたはお姉さんだから水色ね。」と言うようになりました。ピンクに比べ、水色はなんだか男の子の色のようにも思えて不服な時もありました。でも、『私はお姉さんなんだから、赤ちゃんみたいなピンクよりも水色の方が良い。』と
我慢しました。姉妹をお連れで歩いておられる方をよく目にします。そのたびに、上のお子さまの気持ち(リーダーシップと寂しさ)が手に取るように解り、「頑張ってね!」と心の中で応援してしまうのです。