「かなし」・・・せつないほど、愛おしいという古文で習った言葉ですが、素敵な言葉が古文には本当に多いですね。ちょっぴりその時代に生まれてみたら・・・と、思いを馳せてしまう私です。歌をお庭の川に流すのとメールの「送信」ボタンを押すのとでは、どちらにロマンがあるのでしょうか。・・・まあ、恋する若者にとっては、どちらも趣あることなのでしょうけれども。

お子さまをひとりひとり見つめていると、この「かなし」という言葉が一番感じている気持ちに近いように思えます。喜びばかりで、羽が生えて飛んでいきそうな軽い心で「可愛い!」というのでは無く、可愛いと思う気持ちに哀しみが混ぜ込まれているのは、多分本当なのでしょうね。

大学一年になった時に、先生から「この中で眠っているか、起きているかそのどちらかしか無いと思う人は手を上げて下さい。」と言われたことを思い出します。そこにいたクラスのほとんどの人が挙手しました。先生は続けられました。「大学で学んでほしいことのひとつは、物事にはどちらの状態にも分けられない部分があるのだということ、そこを認められるようになってほしいということです。」

喜びは”喜び”だけで構成されているのでは無いのかもしれない。悲しみも、マイナスの感情だけで構成されているのではなく、プラスの感情もないまぜになっているのかもしれない・・・。そして、誰かを愛おしく思う感情の中もまたとても複雑な感情がブレンドされているのでは・・・。そう思うのです。もしかしたら・・・いえ、もしかしなくても、この子たちを合格させなくてはならないという悲願の心は常に存在しているし、そこから来る切なさも大きいのかもしれません。でも、私はこれまで六本木や駒場やご自宅で出会ったお子さま達に悲しい時に心が揺れるのと同じ程強く心を動かされ、感動させられて来ましたし、今後も絶対にそれは変わりはしません。本当に誰かを思う気持ちには、実は哀しみや苦しみが一杯のこともあるのではないでしょうか。人は「嬉しい」「楽しい」といった言葉で自分の感情の真の複雑な、そして常に揺れ移ろっている姿を見失っているのではないか。そんなことも思うのです。
先日も、初めての不思議な経験をしました。今、息子は主人の実家の一軒家に1人で住んでいるのですが、先日帰って来て言うのです。「フィリピンに留学することにしたよ。教授にももうお願いして来たから。」前から息子は迷ってはいたのですが・・・「そうなの、そう、それはいい経験になるでしょうね。」私はたぶん自分の考えで人生を選択して歩き始めた息子については嬉しかったのだと思います。実際、にっこりと笑ったのですが、そう言い終えた時、ポロポロと涙がこぼれ落ちたのでした。私は自分でも驚きました。自分でその時認識していたのは喜んでいる自分であったのですが、淋しさが心の片隅で消えようとして消えなかったのを自分の涙で認識したのでした。人間は自分で自分の心が全部解っている筈が無い・・・と、その時実感しました。前面に出るべき、出すべき感情では無いと判断する心が、本当は苦しみで一杯であったとしても表面を喜びのオブラートで覆い隠してしまっていて、本人すらどんなに苦しく悲しいのかを認識していないのではないか・・・また、逆にどんなに幸福感が大きくても、薄い一枚のグレイの感情がそれを覆い隠してしまっている悲劇だってきっとあるのでしょうね。

失ってから初めて知る本当の心のほうが、実は多いのかもしれません。時とともに別れは必ずやって来ます。私は時々心をタイムマシンに乗せるような遊びをしてみることがあります。時間を先に進めて、その地点から今を見るのですが、その地点では失われたものを今は手にしているという喜びが実感出来て面白いのです。今、一週間に1回、僅かな時、ピアノの講師に早変わりしているのですが、先日も2人で弾いた「青い小道」がとても素敵で帰る道すがらずっと耳の中で繰り返していました。大好きな古本屋さんでまたまた絵本を探している時もその曲は鳴っていました。ふと、私はそんな自分を近未来から眺めてみました。時が過ぎれば、「青い小道」を弾いたお子さまも成長してその曲を弾かれたことすら忘れてしまうかもしれません。でも、今その曲に包まれ、その愛すべき古本屋さんに立っていたことはこれから何年たっても消えない・・・。そんなことを思いました。

「かなし」・・・。自分の心が複雑でも良いんだと自分に認めてあげることも大事なことかもしれません。マイナスな感情を心に少しでも持っただけで、「ほら、今悪いことを考えましたね。私には全部お見通しですよ。」と神様が怒られると信じて育った気がします。でも、昨年の東洋英和の説明会で、神様が私達がどんなに弱い人間かを認めていらっしゃるという目から鱗のお話を伺って、長年作って来たおかしな心のガードを少し変えても良いのではないか、と思えるようになりました。・・・ミッション系の学校説明会は、心が洗われ、感動してしまうことも、本当に多いと感じております。

「悲しくなるほど、あなたが可愛いわよ。」と言われたらお子さまはどんな反応をするでしょう。とても興味深いです。「え~へんなの。」と言うのでしょうか。それとも、そうした心の複雑性を肌で解っていて「そんなにかわいいの?」とすんなり「かなし」を受け入れてくれるのでしょうか・・・。