一昨日、横浜雙葉でチラシ配りをしておりましたら、当教室の生徒さんのご父兄様にお会いし、その時、こんなことを質問されたのです。「先生、<聖なる>って、どういうことですか?先生に昨日聞いてみなさいと言ったのですが、聞き忘れたようで・・・。」
難しいご質問ですね・・・聖なる・・・・。「大人に向けて言うのであれば、清らかで犯してはいけない領域にあるものですか・・・?」とお答えしたものの、「でも、お子さま向けの言葉で何と説明したら良いのか、家で考えてメールしますね。」と申しあげました。
・・・ということで、今、書きながら考えてみようと思うのです。敬愛する大学の恩師から頂いた神様について書かれた文章の中でも特に印象深く心に残ったのは、誰でも心の中に静けさに満たされた場所を持っていて、そこは神様と出会える場所なのだというようなことが書かれた一文だったのです。本当に美しいことが書かれていると思いました。私は、前にも書きましたが、クリスチャンではありません。恩師の先生もフランス文学の研究者でいらっしゃいますが、この一文が私にもたらして下さった影響は、けっして小さなものではありませんでした。
ちょうど、息子の大学受験期に重なり、何ももう母は出来ないながら、様々な悩みに心が乱されていた時期に頂いた御本の中に見つけた言葉でした。私は、早朝、ベランダに置いてあるベンチに腰かけ、目を閉じて、朝の新鮮な空気を吸い込み、心静かに自分の中にある「神様と出会える場所」を清らかにすべく、意識しました。神様と出会えたならば、この苦しみが苦しみでは無くなるのではないか・・・。と一縷の望みを抱きながら。(しかしながら、同時に頂いた文章の中には、苦しみこそ、真に生きている証し・・・というようなことも書かれておりましたが。)
あの、チラシ配りの日に、お母さまからご質問を受けた瞬間、私はこの、誰でもが持つ、心の中の「神様と出会える場所」のことを思い起こしておりました。<聖なる>とは、もしかしたら、どこかにあるのではなく、そうした誰でもが持つ心の中にあるのではないのかしら・・・?心の中の静けさに満たされた場所。神様とお会いする場所。そして、そこは誰もが自分の中にあるのにも関わらず、憧れ、到達しようとしてなかなか出来ない場所ではないのでしょうか。もしかしたら、人間とさるとの分かれ目は、そうした聖なるものへの憧れを心の中に持ち得るかどうかにあるのかもしれません。さるの生態を私は知りませんが、さるにも近づいてはいけない聖域はあるのかもしれません。それでも、それは、どこかに実在する場所であるように思うのですが、違っているでしょうか。…ともあれ、小さな聡い彼女には、今度このように説明しようと思うのです。
「私が幼稚園の頃、クリスマスの礼拝があったの。クリスマスの献金の袋には、きれいな天使様の絵が描かれていたから、先生が回される籠には入れたくなかったのだけど、その天使様の献金袋の中のお金の音がしないように、そして、おしゃべりはけっしてしないようにして、クラスの教室の前の廊下から、私達は静かに静かに礼拝室へと歩いて行ったのよ。わたしには、その礼拝室がとても<聖なる>場所に思えていたの。誰も、おしゃべりひとつしないで、その礼拝室にどんなに多くの園児が入ってきても、静けさは変わらなかったわ。静けさの色って、白にも思えるけれど、園長先生のお祈りが終わって、閉じていた目を開けると、あたりが青い色を帯びて見えたの。あなたは、そんな色を見たことはある?私は幼稚園の頃、その青い色も<聖なる>色だと思っていたの。<聖なる>ところは、静けさの中にあるものかもしれないし、静かにお祈りをすると現れるのかも知れないわね。
<聖なる>ものは、きれいな、尊い大切なものを、皆で守ろうとすると生まれるものなのかも知れないわね。すると、もっとそのものが皆にとって大切なものになっていく。そんなものかもしれないわね。だから、<聖なる>ものの前では、だれも大声を出さないし、泥の足で歩かないのよね。」
・・・もっと、吟味してから、お話をした方が良いかもしれません。本当に、難しいですね。そして、仮に、何年か後に、もう少し大きくなった彼女に出会ったなら、こんなことも言ってみたいのです。
私がこんなに大人になってから、あの頃を思い出すと、幼稚園の頃の思い出全体があのお祈りをしたあと見えた青色のような静かな色の中にあるような感じがしているの。あの頃は気がつかなかったけれど、今は、あの幼稚園の頃全部が<聖なる>時間だったのかも知れないと思えるの。それで、あなたはあの頃<聖なる>時間に住んでいることを知らなかったし、私ももしかしたら、大人になったこの時間でさえ、<聖なる>時間かもしれないことを考えもしていないけれど、もっとおばあさんになった時には、やっぱり、今も<聖なる>時間だったことに気がつくのかもしれないわね。そんなことを考えないで過ごす子供の時代、そして誰しもが無我夢中で生きている大人の時代。どちらも、神様から与えられた命を生きている<聖なる>時間なのかも知れないわね。
<聖なる>って、どんなことか、あなたは知りたかったのよね。とても難しい質問だったけれど、私はそういうことを知りたがったあなたがとても素敵なお子さまだと思ったのよ。
・・・と。