最近、徹夜が多く、受験生の様な暮らしをしております。でも、合格の喜びを全員の生徒の皆様に感じて頂きたいという願いを持つ者としては当然の生活なのかもしれません。
そうした中で、感じますのは助けて下さる友人や家族がいてくれるという喜びです。
今回の模試も、とっくに完成していたのにも関わらず、もっと今のタイミングで出すのにふさわしい必然性のある問題は無いのか・・・と、問題を差し替えておりましたら、またまた夜が明けてしまいました。仮眠を一時間ほど取り、目覚めて出掛けようとしておりましたら、主人が巨大な丸いおにぎりを2つ作ってくれました。初めて主人作のおにぎりを見ましたが、丸い形がなんだか笑えて・・・。

昨日の六本木クラスでも、様々な合格に必要であると思われる力をつけて頂く課題をお出ししました。そのひとつが、「感じたことをすぐに言葉にする力」でした。「春に咲くお花の名前を言って下さい。」と問われたら、即座に答えられる力はあっても、今日のように袋の中に何が入っているのかを手触りだけで言葉で表現するのは様々な「抵抗」を乗り越えなければなりません。お隣の人が、「ふわふわするものが入っています。」と言ったら、自分もそのように答えなければならないような気持ちになりがちな幼児教育環境が、一般的であると感じております。でも、それは協調性などでは勿論ありません。私は自分が感じたことが他のお友達と違っていても、自分の感じたことを信じられるお子さまに育って頂きたいと願っております。その力こそ、「生きるちから」と表現するのにふさわしい力であり、そのお子さまがこれから充実した人生を歩んでいくのに必要な力であると思うのです。

「生きるちから」という言葉が耳触りな時期がありました。でも、今は「生きるちから」を積極的に子供達につけてあげるべきだと感じております。以前、その力をお腹が空いた小学生が親の居ない時に冷蔵庫から食材を取り出して、自分でお料理を作って食べることが出来るような力に例えられた方がいらっしゃいました。確かに、それも生きていくのには必要な力。でも、もしかしたらそれは「生活する力」に近いものも感じます。それにとどまらず、どんな状況や環境でも自分を信じられる、自分が味方である、自分を裏切らない確固たる心を持っているということが、今、本当に必要な力なのではないのか・・・と、考えているのです。中学、高校と、成長されていく中、そのお子さまに本当に合わない環境に居なくてはならない場合も本当に多くあります。そんな時でも自分という存在の評価を他人の目に委ねるのではなく、あくまで自分の目で見て、歩く方向を自分の心で選びとっていってほしい。そんなことを考えているのです。

さてさて、「生きるちから」とまでいかなくても、「感じたことをすぐに言葉にする力」が合格に必要な力であるのは、面接の場面でも言うまでもありませんね。面接本番で、お子さまが黙り込んでしまうのはよくあることです。そして、その黙り込んでしまう時の問いが、お子さまの知識に対する問いかけよりも、感覚に対する問いかけが多いのを感じているのです。
幼稚園の名前を問われてうつむいてしまうことは無くても、あなたは、そのことに対してどう思いますか?という問いかけには対応できないお子さまが案外多いのです。今後も、六本木クラスでは、そうした問いに強くなって頂く課題を多く出させて頂きますね!そして、ご家庭でも、お子さまのそうした気持ちを表す言葉を大事に育んでいって頂けますよう、お願いいたします。肯定してあげることは、親としてはなかなか難しいのですが、「受容」することで出てくる芽がいっぱいお子さまにはあるのですものね。

昨日の六本木クラスでは共同制作のリンゴの木も短時間で上手に出来ましたね。そこに、可愛いリスやウサギや小鳥が集まって・・・。自己紹介の時に、おひとりずつ、リスの名前も発表して頂きましたね。本当に可愛い名前ばかりでしたね[E:shine]音楽表現の時には、新しいお友達が入れるように、ごく自然に円くつないだ手をあけて、待っていてあげられる生徒さん達でした。お友達に何か慰めの言葉を言っているような場面も見ました。そうしたお子さまの自然なやさしい行いを目の当たりにした瞬間が、一番くらいに嬉しい時なのです。