そのお店からは、大分離れた所からでも、甘ずっぱい香りが漂ってくるのが解りました。幼稚園の頃、何故かお弁当を食べ終えた子は、先生から桜色をしてお砂糖がまぶしてある肝油ドロップが配られました。子供が先生にお白湯の中に入れて、とお願いすると、先生はその子のカップの中に、一粒ずつ、肝油を落して下さったのです。その、少しお砂糖が解けたカップの中のお白湯の香り・・・そのお店から漂う香りはそんな香りを思い起こさせました。一体どんなお店なのでしょう。私は、扉を押して中へ入ろうとしました。すると、小学生くらいの女の子が一人でお店の奥に座っているのが見えました。私の姿を見つけ、少し怯えた面持ちでこちらを見ているのです。急に私は中に入るのがためらわれて、ガラス越しにノックしてみました。・・・しばしの沈黙の後、その子が緊張した顔つきのまま、ガラスの向こうから同じ姿勢を崩さずに「どうぞ。」と言うのが聞こえました。ガラス越しですから、見えた、と言った方が正しいかもしれません。私は、今度こそ、そっと扉を押して「こんにちは。」と小さな声で言いながら中へと入って行きました。女の子は、急にお店の奥の座っていた椅子から飛び降りると、こちらに素早くやってきました。ちょっと猫か何かのような動きでした。「すみません、こちらは、どんなものを売っていらっしゃるのですか?」私が声をかけると、女の子はすぐに後ろの棚から薄い箱を取り出し、中を開けて見せてくれました。中には、透き通るように繊細な、美しいレース細工の様なものが入っていました。「まあ・・・なんて、綺麗なんでしょう。」私が溜息をつくと、たちまちその品物は輝きを帯び、桜色に染まったかと思うと、はかなく消え入りそうになってしまいました。「ごめんなさい!やはり、大人の方にはお売りすることは出来ません。あなたは少し、子供のようにも見えたので大丈夫かと思ったのですが、駄目でした。」その子はあわてて、箱の蓋を閉じると、箱の上から2,3度慰めるように撫でてから、また元の棚へと戻しました。「ごめんなさい。何かいけないことをしてしまったようですね。」私は詫びました。すると、女の子はちょっと優しい頬笑みを浮かべて、話してくれたのでした。「仕方が無いんです。ここの品物は子供だけが持てるものなので、品物を見ることが出来ただけでも、良かったと思って下さい。何も見えない方もいるんです。何も見えない方は、たいてい、そのあとで、『空っぽの箱を売っている』なんて怒りだすのです。ですから、最近ではこのお店の扉も、私が大丈夫だと思った時だけ開くようにしてあるんです。」「子供だけしか持てないもの・・・?でも、みんな欲しがるでしょうね。特に、女の方は、アクセサリーにしたいんじゃないかしら。あんなに美しいもの、私は初めて見たわ。」「でも、駄目なんです。大人の人が身につけようとしても、すぐに色あせて、消えてしまうんです。」
・・・私は少し気落ちして最後に尋ねました。「で、あの素敵なものは、なんという名前なのか教えて下さる?」すると、その子は答えてくれました。「はにかみです。」