皆様、本当にお疲れ様でした!本当に大変な3日間だったと思います。でも、お嬢さま達、楽しそうでしたね!お休みされる方もお一人もいらっしゃいませんでしたね!いらっしゃる時少しお疲れぎみで元気が無い方も、授業が3時間にも及ぶにつれ、どんどん明るく、パワフルになっていらっしゃるって凄いことですね!あんなに華奢なお身体の何処にそんな力があるのでしょうか。今日のテストでの素晴らしいお行儀といい、本当に良い一年の、受験準備のスタートになったのでは無いでしょうか。この3日間、間違えられた箇所を繰り返し解かれたり類似問題に沢山触れてみて下さいね!また春期も今回と同様の形式で講習会をさせて頂く予定です。苦手になりがちな項目に今のうちに多く触れておきましょうね!本当にお疲れ様でした[E:shine]
…唐突ですが、私、最近ふと、『夕鶴』のつうが、何故、機織りをしている時は決して部屋を開けないで下さいと約束させたのか、とふと疑問を持ちました。(…何考えているんでしょうね(笑))助けて貰ったお礼の織物を織る為には「私、本当は鶴なんです。鶴の姿で織物を織りますが、驚かないで下さいね。命を助けて頂いたお礼がしたいのです。」と言ってしまわなかったのかしら。などと、思ったのです。…それではせっかくの情緒が台無しですね。でも鶴の姿を見られたら、結婚までしても、何処かに帰らなくてはいけない掟でもあったのでしょうか。そして、今日、横浜駅地下街を歩いている時、急にこんなことが頭に浮かびました。(本当に、一体何を考えながら、と思われますよね。(笑))

つうは本当に心の底から、全身全霊でよひょうが好きだったのでは無いかしら?だから、人間では無い姿、しかも、素晴らしい織物を織る為に羽を抜いていた、そのやつれきった姿をよひょうに見られたく無かったのではないか…と。

本当に愚かな解釈ですが、ふと、そう思われたのです。そう言えば、つうはどの様にして人間の姿になれたのでしょう。そして、姿を見られたら帰らねばならない掟は誰が決め、つうは一体何処へ帰っていったのでしょう。この辺り、同じく人間に恋をして自分も人間の姿にして貰った『人形姫』と重なりますが、アンデルセンは克明に、誰がどの様に変身させたのか一部始終を描いているのに対し、『夕鶴』には秘められた部分が多いですね!もしアンデルセンの『人魚姫』を模して、秘められた部分を描き足してみたら、どのようなことになるのでしょうか。また、書いてみたくなりました[E:shine]

明日は久しぶりに休日です。でも、3日間続けて、皆さまにお会い出来た私としましては、なんだか寂しい気持ちです。皆さまも、どうかごゆっくりとお休みになって下さいね!今日、帰りに行動観察用のアクセサリーやお人形の材料を色々と揃えました。明日は見本を作ります。次回をお楽しみに[E:confident]