先日、息子と二人で京急線に乗りました。夜遅く、11時くらいでしたでしょうか。車内は空いており、私達が座った向かい側の長い座席で、2歳になるかならないか位の坊やが靴下になり、一心不乱に電車の窓枠を使って、電車のオモチャを走らせたりして遊んでいるのでした。「ガタンガターン」と言いながら、すっかり、その小さな電車の運転士さんになっているのでしょう。向かい側の座席に座る私には小さなお背中と、肩、そしてすべすべのお肌の小さなお首と、柔らかそうにふくらんだほっぺしか見えていません。「可愛いわね!」私は夢中になってしまいました。こんなに夜遅くなのに、眠くはないのかしら?お母さまは、大変なお荷物。6つ位のバッグ等、降りられるのにどうして持てるのか、心配でした。その時、坊やは座席の端で眠っている男性の背中につかまりました。「ああ、良かった!お父さまもご一緒なのね!」と思ったのも一瞬で、その男性はちょっと驚いたようなお顔で目覚め、お母さまは「すみません!」と駆けていらして、坊やを抱きとると、元のお席へ。なんて、なんて無邪気なのでしょう!坊やの無垢なしぐさが天使のように見えました。それからは、坊やがどこにも行かないように、坊やをしっかりと抱っこされたのです。坊やのあの柔らかそうなほっぺや、汗ばんでも良いにおいのする頭は、全部全部、安心してお母さまの肩に預けられました。そして、コトリ、と坊やの手から落ちた電車のオモチャをお母さまは坊やを起こさないように手を伸ばして拾い、やがてご自分も目を閉じられて・・・。
あの後、眠ってしまった坊やを抱っこされて、あの6つのお荷物を持って、電車を降りられたのですね。本当に大変ですね!子育ては喜びも、そしてご苦労も多いものですね。私は、その親子を拝見しながら、「今、お母さまはこのお幸せを喜ばれていらっしゃるのだろうか。」と、思いました。おそらく、そのお母さまはご自分の幸せをご存じであったのだと思います。でも、喜びと苦労がある場合、人は苦労ばかりをクローズアップさせて喜びを後回しにしてしまいがちです。心に余裕がなくなると、もう喜びの住む場所など、心のどこにも無くなります。お母さまのあの微笑みも、ご自分で自覚されなければ、今、ご自分が微笑んでいるということにすら気付かないこともあるのではないでしょうか。
中学生の時、宗教のレポート提出の為の課題で読んだ「少女パレアナ」(作 エレナ・ホグマン・ポーター)という本があります。どんなに困難なことからでも、喜びを捜すことをゲームにしていた少女のお話で、赤毛のアンを訳された村岡花子さんが訳されておられ、小学生でも大変面白くてあっという間に読めてしまうような内容なのですが、なぜかあの親子に出会ってからこの本の題名が頭に浮かぶのです。
小学校受験される皆様にとりまして、新年が明け、まだ3日が過ぎただけですが、本番に大きく近づいてしまったような感じがしませんか?確かにこれから、お嬢さまと同じくらいお母さまも、お気持ちの上でも大変なことが増えていらっしゃいますね。でも、お母さまのお気持ちの持ちようで、お嬢さまの御苦労を和らげてあげることだって出来るのです。お受験の準備の過程で、またひとつ、こんなことが出来るようになった、と親子で喜びを数えて進んでまいりましょう。受験勉強が、親子の大事な思い出になり、ずっと大切にしたくなるような経験として残るようなお母さまとお子さまもいらっしゃるのです。そうであったら、どんなに素晴らしいことでしょうか。
「少女パレアナ」、本当に久しぶりに読んでみたくなりました[E:shine]