幼いころの心象風景は、大人の想像をはるかに超えていると思うのです。大人が見ている通りのものを、子どもたちは見ているわけでは無いと思うのです。

例えばアン・ジョナスの「あたらしい おふとん」(角野栄子 訳  あかね書房 あかねせかいの本)は、そうした幼児の心を忠実に再現しているように思われるのです。
女の子が、大きくなったので、大人用のベッドに変わる時に両親に思い出いっぱいのお古の布地を使ってパッチワークしたお布団を作ってもらうのです。
 あかちゃんの時のカーテンの布、シーツ、パジャマ・・・。
  2つのお誕生日に着たワンピース、大好きだったズボン・・・。
彼女はお布団の上に寝そべり、その小さな布地の模様を眺め、思い出を楽しみます。
すると、布地のお花模様や色とりどりの風船、ピエロ、ヨット・・・様々なものが、ふわっと浮き上がり、ベッドの上のお布団はいつの間にかサーカス小屋や、お花畑、遠くの森を抜けた先にはヨットのある湖まである街が出現するのです。女の子はいっしょにいたぬいぐるみの犬サリーがいなくなったことに気がつき、この不思議な街の様々な模様の中を捜しまわるのです。

愛着のあったお洋服の模様との再会。

ぼんやりとしているように見えるとき、実は、子ども達の頭の中では実に素敵な冒険が繰り広げられているのかも知れませんね!
絵本は、時には私達大人に、子どもの心の中の楽しい空想の軌跡を伝え、また思い出させてくれると思うのです。

同じ意味合いでは、レオ・レオーニの「あおくんときいろちゃん」も真っ先にあげられるでしょう。何しろ、青色と、黄色の小さく切り取られたまるい形の紙の切れ端で、物語は始められ、終わるのですから。
教室のお子さま達は、よく、授業中に出た紙の切れ端を、持ち帰りたいと私に申し出ます。彼らにとって、ほんの切れ端でも、絶対的な現実的な何かに見えているのでしょう。
そうした、彼らの心の琴線に触れる絵本に、彼らは大変敏感に反応しますし、同じようにそうした彼らの心を反映した制作物を作る時、彼らの目の色が、変わって夢中になるのが解るのです。私の絵本に対する関心のひとつは、作者が、そうした子どもの心を理解しているかということにあるのです。お子さまに接する時に、提供するひとつひとつが、彼らの心に蓄積されていくという責任を覚えます。
お子さまの心の森の枝に、ピカピカと掛って取れないような思い出になって頂ける幼児教室の授業でありたいと願っております。