子供の頃の夏休みの醍醐味は、早朝のラジオ体操から始まり、プールで遊び、帰ってきてからシャワーを浴びて、風通しの良い部屋で本を読むことでした。心から解放された夏休みという時間は、なおさら想像力の世界も解き放たれていたように思います。そして、それら夏の思い出を、私は今でも鮮烈な感覚とともに覚えているのです。写真であれば必ず褪せていく色が、なぜこんなにも鮮やかに保存されているのでしょうか。私は、不思議でなりません。
早朝のラジオ体操に行く時に見たつゆ草の青。近所の上級生のお姉さんのちょっとくずされたラジオ体操の艶めかしさへの憧れ。ラジオ体操のスタンプカードに押された両手を広げた人の赤く滲んだスタンプの色。帰宅して、玄関に入った瞬間広がった朝食の香り。
それらの日常にもまして、深い感覚として残っているのが家族で行った海での記憶なのです。潜った時の水の中での音の響き。強烈な塩辛さ。それが、鼻の奥に押し寄せた時の息苦しさ。足にまとわりついた海藻。波打ち際に寝そべって聴いていた優しい泡のような波の音。あるいは、畏怖の感覚を呼び起こさせられる波のとどろき。それから、帰る船の甲板から見ていた青緑の海の色への驚き。帰宅して澄んだお風呂のお湯を海に見立てようとして、どうしてもあの青緑色の深さには及ばぬと知った子供の頃。
こうした感覚の貯蔵される間、間違いなく脳は動いているのでしょう。ここに書き記したものは、私が自然に出合い獲得した感覚であって、誰からも「5感で感じなさい。」などと命令されてはいません。私は「子供が遊びの中で成長する」と言われるひとつには、このような、5感を駆使するということも挙げられるのだと考えます。5感を磨くということは、それだけ、周囲の環境からの情報を獲得する手段を鋭敏にすることにも繋がるのではないでしょうか。
先日、なにげなく見たテレビで、海で泳いだことが無い人が若い人の中で40パーセント?程いて、驚きました。いずれにせよ、大人の常識で獲得した情報を言葉で子供に伝えても、本当の意味での教育にはなりえないと私は考えるのです。驚き、喜び、感動が子供を本当に成長させて行くのではないでしょうか。

さて、月曜日の六本木クラスの翌日。我が家は珍しく妹の家と2家族で世界遺産「白川郷」へと出掛けて参りました。名古屋から車でかれこれ3時間半。
白川郷に向かう車の中で、姪が「白川御膳」と言い間違えたので、姪と私は、「白川御膳」という名前のランチに出てきそうなお料理で盛り上がりました。「絶対、天婦羅はついてくるわよね。」「あと、冷たい茶碗蒸しとか。」「あゆの塩焼き」「おそうめんが、川のように盛りつけられているのとか。」等等[E:happy01]
大好きな清流の街郡上八幡や、下呂温泉などの誘惑を後にし、やはり、独特の良い田舎の雰囲気が漂う白川郷は、良かったです。もしも、あの村が本当の田舎ならば、どんなに和むかしらと思いを馳せてしまいました。
散策途中で出合った金色にけむる丈高いススキの小道。その入り口に、高2になった姪と我が息子が立っているところを撮りました。吸い込まれそうに青い空、純白の雲、ファインダー越しに、いつかの夏空の下で撮った幼い2人が重なって見えました。幼い2人の笑う横には、偶然にも「思い出の森の入口」という立て札がありました・・・。ふと、あの「思い出の森」から、2人が大人になって帰ってきたような感慨に浸ってしまいました。

それにしても、夏の白川郷は暑すぎ!でしたね。思考の停止する暑さ。今思えば、ベストショットの箇所が沢山ありました。(一眼レフカメラも実は趣味なのです)展望台に辿りついた時には、息も絶え絶えで。しかし、やはり、心に焼きつく風景ですね。私の旅での収穫は、素晴らしい景色がいくつか心にストックされていて、自由な時間に取り出せることなのです。「今、私は横浜でこんなことをしているけれど、あの川はあそこで、今も滔々と流れているのだ。」と考えるだけで、嬉しいのです。秋に、トンボが群れ飛ぶであろう(すでにかなり飛んでいました)白川郷のあの水辺。一番に雪が舞い落ちてくる頃。そして、豪雪に埋もれ、家の明かりが水田に映る季節・・・。本当に、想像するだけでもため息・・・!
春に息子がイギリスに行ってきたのですが、我々が片田舎のコッツウォルズ地方に大挙して押し寄せるように、多くの外国の方もやはり、魅かれるものがあるのでしょうね。ある民宿の玄関など、外人で溢れていましたし。
お互い、失われていく古い生活にはその国の魅力が色濃く感じられるのでしょうね!
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