蝉しぐれを聴いていると、ふと、思い出される場所があります。

横浜で、私が子供の頃住んだ街にあった「おさびし山」。それは、小学生の私がそう名付けた、裏の小高い丘でした。緑が多く、蝉が本当に良く鳴いていました。本当の「おさびし山」とはムーミンのお話の中に出てくる山の名前なのですが、「おさびし山」命名後、いつの間にか母を中心とした大人にもその名は浸透していき、ある日妹たちの姿が見えなくなり、近所の大人達が集まって「どうも、おさびし山に行ったらしい。」と話し合っているのを聞いた私は、本当にびっくりしたのでした[E:happy01]

この、山でも何でもない「おさびし山」には、細かい階段が続き、中学生の私は、バス通学を時々徒歩に切り替えて、この階段を駆け上って登校していたのです。「おさびし山」の魅力は、この細い階段にもありました。(私は、いまだに細いどこまでも続く階段を見るとせつなさを覚えるのです。国内では尾道、またギリシャのミコノス島、南フランスのエズビラージュの坂道も素晴らしかったです。いつか、メキシコのタコスにも行ってみたいです!)・・・しかし、何といっても、一番魅かれたものは階段を上り切った先にありました!見渡す限りの見事な丈の高い草で覆われた草原が、そこには広がっていたのでした。当時はバレー部で鍛えていたとはいえ、長い階段はこたえ、私は息を切らして立ち止りました。すると草の上を風が駆け抜けて行き、光が渡って行くのが見えました。私はこの光景を見るのが無性に好きだったのです。草は、私の肩位までも伸びていて、道らしい道もないのです。でも、学校に行くのには、この草原を向こうまで渡って行かなくてはならないのです。母は、私にいつもここに来ることを禁じておりました。ましてや、私がこの草原を渡っていることを知ったなら、どんなに驚いたことでしょう。そうした忠告もあり、私は「悪い人」に「捕まってしまう」のを防ぐ為にも、草の中では立ち止まったりせずに全速力でかけぬけることにしていました。私は重い皮のカバンを胸に抱えると、一気に草の中に飛び込みました。そして、かろうじてついている道を20秒程で向こう岸へと駆け抜けて行ったのです!松任谷由実がまだ荒井由実だった頃の「あの日にかえりたい」の歌詞の中に出てくる「草の波間を駆け抜ける」少女とどうしても私の中ではシンクロしてしまうのですが、あの駆け抜けた爽快感は一体何だったのでしょうか。風の一部になったかのように、駆け抜けること、そして、やっぱり、今思うと、私は渡るのが怖かったのだろうとも思うのです。草に飛び込む瞬間、一瞬生を何ものかに預け、渡り切った時にまた生を返してもらえる。そんな高揚感があったのだと今思うのです。それにしても、あんなに確かな存在であった「おさびし山」の草原も、そして何よりあれほど私を心配し、慈しんでくれた「母」も、今はもう無いのだと思うと、いまさらのように愕然とし、新鮮なショックすら覚えるのです。「おさびし山」の思い出の中に立つ時、私はきっとあの中学生の頃の無為の時に生きている自分に還っているのでしょうね。