来週からはいよいよ駒場クラスの慶応・青学・立教対策のクラスがスタートする。現在の体験のお申し込みは、ちょうど男の子と女の子が半々で、バランス良いクラスになればと心より願う。皆さまにお目にかかるのが今から楽しみであり、本当に必要で子供たちが夢中になるようなカリキュラムを準備している。慶応対策の醍醐味は、まさに、そこに在るのだ。慶応の先週の説明会のお話も、これまでに打ち出してきた本講座の方針をこのまま続けていけば良いという自信を頂けた思いで伺って来た。それぞれのお子さまが本来持っている素敵さを、私は全面的に肯定していく。それが、一見「受験向けでは無い良さ」であっても、例えば大変なはにかみ屋さんであったとしても、私はその子が自分で自分を「これでいいのだ!」と自信を持ってくれるまで肯定し続けていく。自信とは、全てにおいて、必要な力なのである。静かな気質でも、自分を信じている子供は強く生きていけるはずである。それを例えば「消極的」と決めつける権利は誰にも無いはずである。先生という存在は、高い山の上から、なんでも出来る人が下を見下ろして命令するのではけっして無い。どんな山に登るべきかを子供に示し、子供がその山が他の山よりもなぜ価値があるのかを自分で見分け、魅力を見出し、険しい山道でも臆せずに登り始めるまでを見守るのが「先生」の役割であると思っている。大声で歌いながら登っても、黙々と登っても、それは同じではないか。(幼児教室の、人生で最初に「先生」という概念を子供に与える立場は、本当に重大な影響力を持っていると言って良いと思う。)私は、相手が「センセイ」という呼び名の人であろうが、自分の考えをまっすぐに述べられ、対等に議論しあえるような生徒に育っていってほしいと願っている。名門校と呼ばれる学校の校風の中には、バンカラとも言えなくもないものが存在するが、それこそ、教師と生徒がお互いに尊敬しあって、尊重しあって生まれる関係なのだと思っている。バンカラとは異なるが、慶応には確かにそうした卓越した鷹揚さが存在する。