絵本のシャワーの中で息子を育てたと言っても、過言ではない程だ。前回、親が開けた天窓に向かって子供の芽は伸びると言ったが、私が開けてあげられた窓は、おそらくそうした方向のものだったのだと思う。

もしも、幼い息子がある言葉の意味を尋ねて来た時には、その度に頭の中で、総力をあげて、無駄の無い簡潔な言葉を選び、伝えようとした。上手く短い文章に還元出来たときは、スルリと、音がするように、言葉はしっかりと息子の語彙の仲間の中に入り込んでいくのを感じた。そして、時には、感覚的なものに訴える言葉も混ぜ込んでみたりもした。「おかあさん、そよぐって、何?」「風が、今、お母さんがあなたのほっぺをそっと撫でているように、やさしく吹くと、草や木の葉っぱが、くすぐったいねっておしゃべりしながら揺れることよ。」息子は、一度で納得すると、それについてはもう何も聞いて来なかった。その代わりひっきりなしに次の質問をしてくるのだった。言葉が、面白くて仕方がない感じだった。そして、そのたびに、最善を尽くして答えようとしていた若い母親であった自分を振り返ると、なんだか、面映ゆくもある。

図書館から、いつも抱えきれないほどの絵本を借りて、帰宅するなり、読み続けた。公園、図書館、絵本の読み聞かせ、と、トライアスロンのような毎日だった。そうしていると、近所の子供たちが家に大勢遊びに来てくれて、おやつを皆で一緒に頂いたり、音楽をかけて、表現ダンスしたり(当時から、近所の子供たち相手に、そんなことをしておりましたね[E:happy01])そのうち、皆で、外に飛び出して行って、元気に遊び・・・。幸せな時代でした[E:confident]

息子の文章への興味は、それからもずっと続き、小学生のある時、『トム・ソーヤーの冒険』が読みたいと言ったので、大きな書店へ選びに行ったときのことだ。

同じタイトルで、5冊の本を見つけた。そこで、2人で選び始めた。まず、物語の冒頭部分を読み比べてみて、驚いてしまった!違いすぎるのである。一番字の大きな本には、もはやマーク・トウェイン自身が驚愕するであろう、日本の作者の作品?と化したものも含まれていたのだ。息子は、そんなことをとても面白がる子供だった。それは、今でもまあ、続いているのだと思う。(思いたいです[E:wink])

お子様を膝に乗せて、絵本を読んであげているときのお顔を、見たことが無い方がほとんどだと思うのです。でも、そんな時のお子様のお顔は、はたから見ていて、写真に撮ってお母様に見せてあげたくなるほど、真剣で、嬉しそうで、素敵な良い表情なのですよ・・・。

お腹の大きなお母様の横に並んだyちゃんに、2歳児さんの個別の時に「なっちゃんが生まれた日」を読んであげた時の表情が、今でも鮮明に心に残っている。私が読み終わると、yちゃんは、「ほおっ」て、ため息をつくと、瞬間、我に返り、照れて、嬉しそうな、泣きそうなお顔になった。・・・。yちゃん、あれから、赤ちゃんが生まれて、とってもいいお姉さんになりましたね。お会いしたいですよ!

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