今、自分の信念を結集した幼児教室を立ち上げようと奮闘中です。
6月の爽やかな風の中、素敵な教室がスタートできますように・・・!
皆様、どうぞ、応援よろしくお願い致します[E:shine]
ブログ、「リュミエール ド チョコリット」の為に、初めて作りました。特定の方にお話するのではないブログに、ちょっと、ドキドキですが、育児について、児童教育について、そして、絵本や児童文学について等々、お話したいことは、本当にたくさんあるのです!そう、
吟遊詩人がリュートを奏でながら旅の道々で歌い歩いたように、そんなお話をしてまいりますね。道行く皆さま、どうか、たまには足を止めて聞いて下さいね[E:note]
最初には、やはり「リュミエール ド チョコリット」の名前について、お話いたしましょうか。
我が家の息子も、今や某国立大学の2年生になりましたが、これは、夢のように幸せな靄のかかった、まだ彼が2歳だったころのお話です。
ある、静かな午前のこと、私はいつものようにキッチンで家事をしておりました。ふと、振り向くと、幼い息子が遊ぶのをやめて、陽だまりに座り、じっと窓のほうを見上げているのです。
「しゅんちゃん、どうしたの?」と、私は尋ねました。すると、彼は、
「チョコリットこりすは、今ピカピカに打たれているところ。」と答えたのです。
自分のことを、チョコリットこりすだなんて、呼んだのも初めてでしたが、ピカピカは、その時窓から盛んに差し込んでいた日の光であり、私が驚いたのは、その光に「打たれる」と
幼い子供が表現したことでした。幼い子供は、詩人が修辞法を使って物事を表現していくのとは違い、修辞法そのものの中で、生きているのではないか。そう感じることが、よくあります。獲得している言葉の数が少ない分、そして、概念に毒されていない分、物事は、分離されずに密に繋がりあって、光は、滝のように、雨のように、彼らに降ってくるのではないでしょうか。私は、夢中で、いつもの語録ノートを取り出し、その言葉を書き留めたのでした。私の好きなランボーの詩の中にも、「光に泡立つ小さな谷間」という表現がありましたが、私が、小さな子供の教育の中で、何よりも大切にしたいのは、そうした、彼らにしか持つことを許されていない、素晴らしいとしか言いようのない感覚であり、その発露ともいうべき、表現なのです。
「リュミエール」は、光。そう、あの時の、息子の言葉をそのまま教室の名前にしてしまいました!沢山の「チョコリットこりす」さんたちの、、1人1人の素晴らしい感性の輝きに、出会えますように・・・!
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